087 「宮滝」
 
○み吉野の 象山キサヤマの際マの 木末コヌレには
 ここだもさわく 鳥の声かも
                           山部赤人・巻六 − 九二四
 
○ぬばたまの 夜ヨの更フけゆけば 久木ヒサギ生オふる
 清き川原に 千鳥しば鳴く
                              同・巻六 − 九二五
 
 吉野離宮はこの宮滝説が有力のようですが、此処の眺めは見事で、柿本人麿の歌(015
「吉野川」参照)も詠いました。長年の水流で大岩盤が様々に削られ、これに奔流が当
たって渦巻きます。人麿が詠ってから約三十年後、その宮廷詩人の伝統に立つ赤人が詠
いました。神亀二年(725)夏五月、聖武帝吉野行幸の時です。「清き川原」は、古い禊
ミソぎする川の類型語ですが、その古い言葉を用いて、新しい風景詩を作りました。両者
の歌を比べますと、人麿には女帝を中心とした宮廷集団の感情の篭った調べが響いてい
ましたが、赤人には新しい自然を発見した清澄な観照があります。
 「み吉野の象山の山間ヤマアイ、その木々の梢で、沢山の鳥の騒ぐ声が聞こえる」「夜が
更けて行くと、久木の茂った清い川原で、千鳥が頻りに鳴いている」。
 明るい谷のまひる間に騒いでいた小鳥も静かになった頃、月の光が流れていたかも知
れません。チチ、チチ、と鳴く千鳥・・・・・・。赤人はこのような情景を詠ったのでしょう
か。島木赤彦はこれを寂寥処と呼びました。久木とは赤芽柏アカメガシワのことです。
 
 吉野川の谷間は鳥の声の清らかな処です。
 
 大和には 鳴きてか来クらむ 呼子鳥ヨブコドリ
 象の中山 呼びそ越ゆなる
                            高市黒人・巻一 − 七十
 
 「今頃は大和の方に鳴きながら行っているだろうか。呼子鳥が、象の中山を呼び呼び
越えて行く声が聞こえる」。
 象の中山とは、いわゆる象山ではなくて、吉野と大和を分ける山並みのうちの、何処
かの山である、と折口信夫博士は観ました。地理的には、その方が相応しいかも知れま
せん。
 早ハヤ、蝉が鳴いています。東の三船山の上には、初夏の雲が湧いています。
 
 滝の上の 三船の山に 居る雲の
 常にあらむと わが思はなくに
                           弓削皇子・巻三 − 二四二
 
 「滝の上に聳える三船山に、動かずに懸かっている雲。それもやがて移って行くよう
に、私もこのまま長らえることが出来るとは思えない」。弓削皇子は天武天皇の第六皇
子で、病弱であたらしく、それだけに繊細で美しい歌を幾つか残しています。
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