082 「天アメの香具山カグヤマ」
 
○春過ぎて 夏来キタるらし 白栲シロタヘの
 衣ほしたる 天の香具山
                            持統天皇・巻一 − 二八
 
 飛鳥人や藤原人にとっては、香具山(香久山のこと)は季節感の焦点であったと見え
ます。皐月サツキ空、新緑、明るい太陽に輝く白い衣等々、まるで絵に描いたような初夏で
す。この歌はただ、その印象だけを叙景的に詠ったのでしょうか。
 田植えの前に「禊ミソぎ」をして、豊かな収穫を祈る風習は古くからあります。神話に
も出てくる天の香具山は、いわば大和の国の祭壇です。この香具山でもそうした祭が行
われたと考えられます。折口信夫博士の説のように、そのとき使う天の羽衣のような聖
衣を、乙女等が干している、とは考えられないでしょうか。
 
 持統女帝の都藤原宮の辺りは、一面青い麦の穂に覆われていました。何でちっぽけな
山を、古代人達は大切にしたのでしょうか。それが疑問でしたが、この藤原宮跡のあた
りから見ますと、低いなりにも動じない姿が立派です。背後に多武峯や熊ケ岳、音羽山
などが連なり、其処から平野へ向けて丁度岬のように突出しています。それは端山ハヤマの
ように見え、このような地形に古代人は神聖なものを感じていたのでしょう。万葉に「
天降アモりつく香具山・・・・・・」(二五七)と云い、『伊予風土記』に天上から落ちて来た
断片とありますが、これは神が降臨する心象(イメージ)の一種の合理化でしょう。『日本
書紀』の崇神紀には「大和の国の物実モノシロ」と云われており、本質を云い表しています>
 
 また神武紀には「香具山の赤土を祭れば、大和を平定できる」とあります。部分と全
体の同一視ですが、それ程に天の香具山は、大切に考えられていたのです。そこで神武
天皇の椎根津彦シイネツヒコ等に命じ、当時は先住民族の土地であった香具山の土を盗みに行
かせます。二人は醜い老人と老女に変装して適地に潜り込み、神聖な山の赤土を盗って
来ました。それが即ち「大和の土を奪った」と云うことになります。
 このような素材、このような背景、然も作者は持統女帝です。三拍子揃って、誠に端
麗な初夏の歌が生まれました。
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