081 「明日香風」
 
○釆女ウネメの 袖吹きかへす 明日香風アスカカゼ
 都を遠み いたづらに吹く
                            志貴皇子・巻一 − 五一
 
 雷の丘と甘橿を縫って流れる飛鳥川の脇にある、飛鳥小学校裏に飛鳥浄御原の宮跡が
あります。飛鳥区域にはまた、畝傍、耳成、香具山に囲まれた地に数多くの皇居が造ら
れました。推古天皇の飛鳥小墾田オハリダ宮、舒明天皇の飛鳥岡本宮、皇極天皇の飛鳥板蓋
イタブキ宮などですが、当時の皇居は、後の平城京や平安京などのように大規模なものでは
なく、こじんまりしたものであったでしょう。
 しかし転々としている間に律令が定められ、国・郡・里などの地方制度も完成して国
家としての形が整えられました。次第に手狭になった皇居は飛鳥浄御原宮から、新しい
都として造営された藤原京へ遷されました。
 「美しい釆女の袖を吹き返していた明日香の風も、都が遷されて遠くなったので、空
しく吹いている」と志貴皇子が詠ったのは、遷都してそんなに長い年月を経てからでは
なかったかも知れません。皇居を中心とした賑わいは、遷都と共に嘘ウソのように閑散に
なりました。或いは皇居の材木は、藤原京造営のために運び去られてしまったかも知れ
ません。大和朝廷にとっては発展途上の意義深い遷都でしたが、譬え二十数年にせよ、
住み着いた人々にとっては愛着が捨て切れなかったでしょう。
 
 釆女は諸国の上級役人の子女で容姿の美しいものが宮廷に召されていましたので、そ
の袖を吹き返した風そのものまでが、華やかに感じられたのでしょう。同じ風が今は寂
れた土地となった宮跡を吹きます。人々にとっては感無量の想いであったに違いありま
せん。志貴皇子の母も釆女でした。
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