080 「藤原宮」
 
○やすみしし わご大君オホキミ 高照らす 日の皇子ミコ
 荒栲アラタヘの 藤井が原に 大御門オホミカド 始め給ひて
 埴安ハニヤスの 堤ツツミの上に あり立たし 見メし給へば
 大和の 青香具山アヲカグヤマは 日の経タテの 大御門オホキミカドに
 春山の 繁シみさび立てり 畝火ウネビの この瑞山ミヅヤマは
 日の緯ヨコの 大御門に 瑞山と 山さびいます
 耳成ミミナシの 青菅山アオスガヤマは 背面ソトモの 大御門に
 宜ヨロしなへ 神さび立てり 名ぐはしき 吉野の山は
 影面カゲトモの 大御門ゆ 雲居にそ 遠くありける
 高知るや 天アメの御蔭ミカゲ 天アメ知るや 日の御蔭の
 水こそば 常にあらめ 御井(ミヰ)の清水マシミズ
                            作者未詳・巻一 − 五二
 
 四十五歳で即位した持統女帝は、朱鳥六年(694)藤原宮造営を開始し、同八年に其処
に都を遷しました。これは大唐長安の都を模して、左右両京を配し、宮殿と都市を持っ
たわが国では初めての本格的な大帝都でした。後に七一〇年、奈良に遷るまでの白鳳の
都です。
 香久、耳成、畝傍の大和三山に囲まれた、丁度中心に藤原宮はありました。
 「わが大君が、藤井が原に初めて皇居をお造りになり、傍らの埴安の池の堤に立って
ご覧になりますと、青々とした香具山は東の御門の方に、如何にも春らしく生い茂って
います。生き生きとした畝火の山は、西の御門の方に、如何にも山らしい立派な姿を見
せています。青々とした耳成山は北の御門の方に、美しく、神のようです。名も麗しい
吉野の山は、南の御門から遥か彼方、空遠くにあります。これらの山々に囲まれた皇居
は、正に天上の御殿です。其処に湧く水こそは、尊い泉の清水で、永遠に絶えないでほ
しい」。都の形をそのままに端正な古典的構成の宮褒めの歌です。
 「藤が井」と呼ばれていたところを見ますと、泉の辺ホトリに藤の花が咲く原っぱであっ
たのかも知れません。清らかな泉は共同体社会の中心でした。
 
 藤原の 大宮仕え 生アれつぐや
 処女ヲトメがともは 羨トモしきろかも
                            作者未詳・巻一 − 五三
 
 「藤原の宮の奉仕するため生れ継いで来る乙女等は、羨ましいなあ」。
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