079 「泉のほとり」
 
○春霞 井の上ヘゆ直タダに 道はあれど
 君に逢はむと たもとほり来も
                          作者未詳・巻七 − 一二五六
 
 昔から水汲みは、女の大切な仕事でした。水の神、水の妖精など水には女性の心象(
イメージ)が付き纏います。命を潤す水、それを汲む女の姿は、古くから多くの男達の心を
捉えて来ました。あの子が水を汲みに来る頃、若者はそっと森の泉へ出かけます。乙女
もそれを心待ちにしていました。
 「泉の辺ホトリから、道は真っ直ぐに家の方へ伸びていますけれど、あなたにお逢いした
いと思って、回り道をして来たのです」。
 恥じらいながらも、激しく燃える少女の心です。素朴な東歌にも、次のような歌があ
ります。
 
 青柳アヲヤギの 張らろ川門カハトに 汝ナを待つと
 清水セミドは汲まず 立処タチドならすも
                         作者未詳・巻十四 − 三五四六
 
 「青々と柳が芽を吹いた川の側で、あなたが来るのを待ちながら、清水も汲まず、足
元が平らになるまで立ち尽くしています」。
 
 うらも無く わが行く道に 青柳の
 張りて立てれば 物思モひ出ヅつも
                         作者未詳・巻十四 − 三四四三
 
 「何気なく歩いていたのですが、道端の柳が生き生きと芽を吹いているのを見た途端、
この頃の物思いを思い出してしまいました」。
 初恋に頬を染める少女の面影が浮かんで来ます。次の歌も水汲みの途中でしょうか。
清らかな水の面に、鮮やかな柳の若芽が影を落としています。
 
 勝鹿カツシカの 真間ママの井見れば 立ちならし
 水汲ましけむ 手児奈し思ほゆ
                       高橋虫麻呂歌集・巻九 − 一八〇八
 
 万葉も末期の頃、大伴家持が越中(富山県)において詠んだ歌の中にも、水を汲む乙
女の姿があります。東歌などに比べますと、随分貴族風な捉え方ですが、「多くの少女
等が入れ替わり水を汲んでいる寺の泉、その上に咲いた片栗カタクリの薄紫色の花の、何と
可憐なことでしょう」と詠います。
 
 もののふの 八十ヤソ少女ヲトメらが 汲みまがう
 寺井の上の 堅香子カタカゴの花
                              巻十九 − 四一四三
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