077 「征旅」
○防人サキモリに 行くは誰タが背セと 問ふ人を
見るが羨トモしさ 物思モヒもせず
作者未詳・巻二十 − 四四二五
遠い西海の国境へ旅立つ男達も辛かったでしょうが、見送る妻や家族の悲しみも、そ
れに劣りませんでした。
もの思いもせず「防人に行くのは、誰の夫かしら」と訊いている人の、何と羨ましい
ことでしょう。私の夫は防人に徴られ、この胸は破れそうなのに・・・・・・と詠う。防人の
妻は、律令制の生んだ悲劇の女性でした。
草枕 旅の丸寝マルネの 紐絶えば
吾アが手と付けろ これの針ハル持モし
妻椋椅部弟女メクラハシベノオトメ・巻二十 − 四四二〇
「草を枕の旅の丸寝で、もし衣の紐が切れましたら、自分の手でお付けなさいね、こ
の針で」と、優しい心遣いと共に余計いじらしい。
家にして 恋ひつつあらずば 汝ナが佩ハける
刀タチになりても 斎イハひてしかも
巻二十 − 四三四七
「家にいて心配していないで、お前が身に着けている太刀になって無事を守ってやり
たいものだ」と、この歌は防人として出征する子へ父が餞ハナムケに詠んだものです。
徴発のとき、宿場での会食のとき、或いは船出のとき「大君の命ミコトかしこみ・・・・・・」
を述べるのです。酒を飲むほどに、心の底にある想いが素朴な歌となって溢れ出ました。
畏カシコきや 命ミコト被カガふり 明日ゆりや
草がむた寝む 妹イモ無しにして
巻二十 − 四三二一
防人等は陸路を難波まで辿り着きますと、此処から船で北九州の太宰府へ向かいまし
た。天平勝宝六年(754)、防人輸送の総元締でもある兵部少輔となった大伴家持は、書
類の中に防人等の歌を見ました。防人の歌は、国司下級官として防人輸送の任に当たっ
た部領使等が書き留めたものでした。そして共感を持って防人等の歌を集めさせました。
このようにして八十数首の防人の歌が『万葉集』に残りました。没落して行く名門貴
族の当主であった家持には、防人の歌が、他人事とは思えなかったかも知れません。
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