076 「防人サキモリの歌」
 
○道の辺ヘの 荊ウマラの末ウレに 這ハほ豆の
 からまる君を 別ハカれかゆかむ
                      丈部鳥ハセツカベノトリ・巻二十 − 四三五二
 
 「さきもり」とは、岬を守る兵士です。大化改新(645)の後、大陸との関係は緊迫の
度を加え、壱岐、対馬、筑紫など西海沿岸を警備するため、防人が派遣されるようにな
りました。それは関東地方の農民の役目でした。
 その頃の関東地方は、未開の地でした。「鳥が鳴く東アズマ」 − 言葉の通じない東国
と云う意味です。兵役のような辛ツラい仕事は、何時もそのような後進地域の人々に皺寄
せされます。二十歳から六十歳までの成年男子のうち三、四人に一人は兵士に徴られ、
その中から更に運の悪い者等が防人や、都を警護する衛士として故郷を後にしなければ
なりませんでした。任期は防人が三年、衛士が一年と云うことには一応なっていました
が、送られたら最後何時帰れるか分かりませんでした。
 「道の辺ホトリの荊イバラの先に、這い登っている豆の蔓のように、絡み付くあなたを振り
切って、私は行かねばならぬのだろうか」。
 方言混じりで切々と詠います。拒むことの出来ない命令なのです。愛する人達と別れ
て、遠い国境の守りにと引かれて行くのです。然も食糧や武器は自前であったと云いま
す。
 
 障サへなへぬ 命ミコトにあれば 愛カナし妹イモが
 手枕タマクラ離れ あやに悲しも
                              巻二十 − 四四三二
 
 わろ旅は 旅と思オメほど 家イヒにして
 子持メち痩ヤすらむ わが妻ミかなしも
                              巻二十 − 四三四三
 
 「自分の辛ツラい旅は諦められるとしても、家に残って子供を育てながら痩せてゆく妻
のことがいとおしい」。
 二十歳になったばかりの若者も多かった。名残りを惜しむ暇さえない、慌ただしい出
発でした。
 
 父母が 頭カシラかき撫で 幸サくあれて
 いひし言葉ケトバぜ 忘れかねつる
                              巻二十 − 四三四六
 
 水鳥の 発タちの急ぎに 父母に
 物モノ言ハず来ケにて 今ぞ悔クヤしき
                              巻二十 − 四三三七
 
 自殺する者、逃亡する者が後を断たなかったと云います。縋スガり付く幼子を後に残し
て行く父親の心境はどんなであったでしょうか。妻に先立たれ、男手一つで育てて来た
と云うのに・・・・・・。
 
 韓衣カラコロモ 裾スソにとりつき 泣く子らを
 置きてそ来キぬや 母オモなしにして
                              巻二十 − 四四〇一
 
 正倉院の古文書「天平十年駿河国正税帳」(会計決算報告のこと)に拠りますと、防
人千七十二人が駿河国を通過しました。
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