《春より夏へ》
075 「五月祭」
○ほととぎす いたくな鳴きそ 汝ナが声を
五月サツキの玉に あへぬくまでに
藤原夫人・巻八 − 一四六五
「ほととぎすよ、そんなに美しい声であまり鳴いてくれるな、その声を五月の玉 −
橘タチバナの珠につらぬくまでに」。
古代社会には春の祭がありました。聖樹とみられた柏カシワ、椿ツバキ、橘などの若枝を髪
に挿し、美しい青春と豊かな結婚を祈る。それは成人式でもありました。『古事記』に
見える倭建命ヤマトタケルノミコトの臨終の歌は有名です。
命イノチの 全マタけむ人は 畳薦タタミコモ 平群ヘグリの山の
熊白梼クマカシが葉を 髻華ウズに挿せ その子
「思国歌」
「いのち」の「い」は、「いかめし」「いき」などの「い」と同じく、厳粛で生き生
きしていること。「の」は接続の語。「ち」は血や乳であり、生命にとって掛け替えの
ないものであると同時に、その中に宿っている魂と云うか神と云うか、いわば「生命原
理」そのものを意味しました。従って「命の全けむ人」とは、その生命原理が厳粛に生
き生きと活動して、健やかな − つまり若者達を指したのです。
このように考えますと、日頃何気なく使っている「ことば」には、人々の心の奥深く
に根挿した共通の感情と云う裏打ちがあったのです。
「生き生きと、健やかな若者達よ。平群の山の大きな柏の葉を髪に挿し、豊かな青春
を送っておくれ」。これは古くから平群地方に伝わる民謡風の歌であったと思われます。
春の祭に若者達の将来を祈って、村の長老が歌ってやったのでしょう。
これを、薄幸な若き英雄の臨終の望郷の歌に選んだ『古事記』の着眼も、相当なもの
と考えられます。
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