070 「橘寺」
○橘タチバナの 寺の長屋に わがゐねし
うなゐ(童女)はなりは 髪あげつらむか
作者未詳・巻十六 − 三八二二
橘寺は、聖徳太子の建てた七寺のうちの一つと伝えます。近くに太子が生まれたと伝
わる地も遺っています。また、成人してから法隆寺に住まわれた太子は、馬で両寺の間
を往来されたと伝えられています。
「橘寺の長屋で一緒に寝たあのときの少女は、もう成人して髪を結い上げていること
か」と詠んだこの歌は、非常に耽美的です。流石にこれはあまりに淫らがましいと、椎
野連ムラジと云う帰化人は「寺は俗人の寝る処ではない」と、
橘の 光テれる長屋に わがゐねし
うなゐはなりに 髪あげつらむか
巻十六 − 三八二三
と詠って、「寺」の字を削りました。恐らく寺の近くに古代の未婚男女の交わりの場で
あった「歌垣」があり、若い二人が一夜を共にしたのでしょう。
「うなゐ」は項ウナジの辺りで髪を切り揃えているのを云い、「はなり」はおさげで、
どちらも未だ振分髪の童女や少女のことを指します。「髪あげつらむか」は成人して髪
を束ねたろうかの意です。「うなゐはなり」の調べが如何にも快く叙情的です。
振フリわけの 髪を短かみ 青草を
髪にたくらむ 妹イモをしそおもふ
作者未詳・巻十一 − 二五四〇
橘の 蔭ふむ路の 八衢ヤチマタに
物をぞ念ふ 妹にあはずて
三方沙弥・巻二 − 一二五
その頃、この辺りには橘の並木路があったことを偲ばせる歌です。
垂仁天皇の命により、不老長寿の霊薬を求めて南国へ旅した田道間守が持ち帰った非
時香果トキジクノカグノコノミ(橘の実)をこの地に植えますと、橘が生い茂り地名となった、と
の伝説もあります。
橘は 実ミさへ花さへ その葉さへ
枝エに霜ふれど いや常葉トコハの樹
聖武天皇・巻六 − 一〇〇九
なお、橘寺には、石の両面に人の顔を刻んだ二面石があります。
近くには、天武、持統両天皇の御陵があり、鬼の俎マナイタ、鬼の雪隠セッチン、或いは亀石
などの奇石が点在し、蓮華レンゲ田を隔てて直ぐ北に川原寺が見えます。当時の帰化人文
化の跡が偲ばれる一郭です。
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