068 「荒都」
 
○玉襷タマダスキ 畝火ウネビの山の 橿原の 日知ヒジリの御代ゆ
 生アれましし 神のことごと 樛ツガの木の いやつぎつぎに
 天アメの下 知らしめししを 天ソラにみつ 大和を置きて
 あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか
 天離アマザカる 夷ヒナにはあれど 石走イハバシる 淡海アフミの国の
 楽浪ササナミの 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ
 天皇スメロギの 神の尊ミコトの 大宮は 此処ココと聞けども
 大殿オホトノは 此処と言へども 春草の 繁シゲく生オひたる
 霞立ち 春日の霧キれる ももしきの 大宮処ドコロ 見れば悲しも
                            柿本人麿・巻一 − 二九
 
 「荒れる」の元の意味は「あるべきものがなくなる」ことと云います。古代において、
それは「神の不在」であり、「水の不在」であったでしょう。既に「神」の実感を生活
の中から失った現代人は、更に水や緑の不在にまで、不感症になろうとしているのでし
ょうか。荒れて行く不在の都市。
 奈良山から見下ろす古都の姿は、さぞ美しかったでしょう。
 「畝火山の麓、橿原の宮に神武天皇が即位なさって以来、お生まれになった天皇の全
てが次々と天下をお治めになった大和の国を後に、奈良山を越え、どうお想いになった
のか、遠く鄙びた近江の国の大津の宮で天下をお治めになったと云う天智天皇、その尊
い皇后は此処であったと聞くけれど、御殿は此処であったと云うけれど、今は春草が生
い茂り、霞が立って、春の日差しも鈍く霞んでいる。栄えた大宮の跡を見れば、悲しみ
に胸が塞がる」。
 この長歌は、人麿初期の頃のものと見られています。如何にも儀礼的な詠い出しです
が、やがて押さえかねたように、叙情的な想いが溢れ出します。これが人麿の特徴でし
た。
 祭式的なものを残していた共同体社会から律令国家へと移りつつあった、重層と分裂
の時代、そこに生きる人々の”無意識の悶モダえ”を声にしたのが人麿であったと云えま
しょう。長歌を潜って溢れ出た心は、更に反歌へと受け継がれて行きます。
 
 ささなみの 志賀の辛崎カラサキ 幸サキくあれど
 大宮人オホミヤビトの 船待ちかねつ
                                 巻一 − 三〇
 
 ささなみの 志賀の大わだ 淀ヨドむとも
 昔の人に またも逢はめやも
                                 巻一 − 三一
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