067 「桜児サクラコ」
 
○春さらば 挿頭カザシにせむと あが思モひし
 桜の花は 散りゆけるかも
                         作者未詳・巻十六 − 三七八六
 
○妹が名に 懸カけたる桜 花咲かば
 常にや恋ひむ いや毎年トシノハに
                            同・巻十六 − 三七八七
 
 昔、美しい乙女がいました。名は桜児、この娘を得たいの二人の若者が命賭けで争い
ました。桜児は途方に暮れました。二人の男の許へ嫁ぐことは出来ない。かと云ってど
ちらも死ぬ程思い詰めている様子、とても諦めてくれそうもありません。このままでは
皆破滅します。私が死のう、桜児は一人で林の中に消えて行きます・・・・・・。残された二
人の若者は血の涙を流して悲しみ、桜児を偲びながら詠ったのがこの二首と云います。
 「春になったら、美しい髪飾にもしようと思っていたのに空しく桜の花は散ってしま
った」「愛イトしいあの子の名が付いた桜。この花が咲く度に、来る年も来る年も、私は
恋し続けることだろう」。
 
 巻十六は恋しい桜児の物語で始まります。ハラハラと散る桜花の心象(イメージ)が、こ
の伝説に結晶したのでしょうが、散る花のこのような感じ方は、比較的新しいと云えま
す。万葉も初期の歌では、雪のように散り頻る花弁ハナビラから、その年の豊かな収穫を連
想し、祈りました。それが奈良時代になりますと、自然観も次第に繊細となり、更には
貴族的になって行きます。
 
 桜花 時は過ぎねど 見る人の
 恋の盛りと 今し散るらむ
                          作者未詳・巻十 − 一八五五
 
 「桜の花は、最も美しい盛りに、今こそと散って行く。だからこそ、余計に心を惹か
れるのだ」と、ある意味で「美しさ」の本質を見抜いています。可成り凝った感じ方と
云えましょう。桜児の歌にも、此処まで意識的ではありませんが似たような見方が根に
あることは確かです。尤も、このような美女の伝説は古く、他にもゆく似た話が万葉集
に幾つか見えます。
 
 葦屋アシノヤの 菟原ウナヒ処女ヲトメの 奥津城オクツキを
 往イき来キと見れば 哭ネのみし泣かゆ
                               巻九 − 一八一〇
 
 この歌は高橋虫麿集からのもので、次のような長歌を受ける反歌です。「葦屋の菟原
処女は、未だ童女の頃から深窓に育ち、誰もが一目でも見たいと憧れた。特に血沼壮士
チヌオトコと菟原壮士ウナイオトコの二人が、譬え火の中水の中と競り合ったので、菟原処女は母に
そっと心を打ち明けた。拙ツタナい私のために、お二人が争うのを見ると、とても生きては
おれません。あの世でお待ちしましょうと。二人の若者も跡を追った。親達は哀れみ、
処女塚を真中にして、二人の墓を左右に造ってやったと云う」。
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