066 「天上の火」
 
○君が行く 道のながてを 繰クり畳タタね
 焼きほろぼさむ 天アメの火もがも
                 狭野弟上娘子サノノオトガミノオトメ・巻十五 − 三七二四
 
○あをによし 奈良の大路オホヂは 行きよけど
 この山道は 行きあしかりけり
                     中臣宅守ナカトミノヤカモリ・巻十五 − 三七二八
 
 奈良坂の裏道から京都へ抜ける山道は、山間を縫って彼方へ続いています。作者の狭
野弟上娘子は、この道を手繰り寄せて焼いてしまおうと詠った、才気の歌です。「わが
恋する人が、おいでになる長い長い道を手繰って、畳み重ねて焼き滅ぼしてしまう天の
火がほしい」。恋しいその人、中臣宅守が流罪になって越前に去って行くのを悲しんで
詠んだ歌です。今の奈良坂を越えて、かの人は去って行ったのでしょう。道を紐のよう
に手繰り寄せて焼き払ってしまえば、その人は行かなくても済むかも知れません。燃え
る情熱で焼き切れるものなら・・・・・・。この場合、道ではなく、道に蔓延る蔓草のことで
あるとする異説もあります。
 「奈良の大路は歩き良いが越前へのこの山道は、こうも行き難ニクいのであろうか」。
宅守は重い心をこのように詠みました。女の執念とも見られる弟上娘子とは、どのよう
な女性であったかは定かではありません。何れも下級の女官であったでしょう。普通茅
上チガミ娘子と云われますが、古写本の一つ西本願寺本では弟上娘子となっています。
 
 宅守は天平十二年(740)以前に流罪になった、と記録にあります。或いは重婚の罪の
ためでしょうか。当時、偽金ニセガネ造りと女性関係が犯罪の主なるものでした。二人の贈
答歌がこの巻に延々六十三首も並びます。恋いつ恋われつ、さながら歌劇のように歌い
交わされる連鎖短歌を見ますと、情炎の歌も何か滑稽味を帯びます。或いは二人の恋を
小説風に一人の作者が詠ってのかも知れません。尊い人が遠くに流されることに一つの
演劇を感じた当時の社会状況からしますと、このような想像も許されるかも知れません。
『万葉集』を”人間公園”に例えた人がいました。古代の園に、泣き、苦しみ、恋する
人達の人間模様が絢爛と花咲いている、と思うのは楽しい。
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