061 「佐保の初月ミカヅキ」
 
○月立ちて ただ三日月の 眉根マヨネ掻カき
 日ケ長く恋ひし 君に逢へるかも
                         大伴坂上郎女・巻六 − 九九三
 
○振フリ仰サけて 若月ミカヅキ見れば 一目見し
 人の眉引マヨビキ 思ほゆるかも
                           大伴家持・巻六 − 九九四
 
 坂上郎女は大伴旅人の異母妹でした。従って家持に執っては叔母です。法華寺の西北、
今の坂上陵辺りに住んでいたことから、坂上郎女と呼ばれていたらしい。愛情豊かな才
女であったらしく、約八十首の優れた歌を『万葉集』に留めています。
 これらの「初月ミカヅキの歌」と題した歌は、天平五年(733)家持十五、六歳位のとき
のもので、父の旅人は既に亡くなっていました。美しい叔母は、歌を通じて少年家持の
情操教育をしようとしたのかも知れません。
 「新月が立ち、早迎えた三日の月。その月の影をした眉根を掻きながら、長い間お慕
いしていたあなたに、ようやくお逢い出来ました」「振り仰いで三日月を見ると、一目
見たあの人の美しい眉引が思い出される」。
 春の夜にかかった三日月を見上げながら、多感な少年の心は奮えました。『万葉集』
中、家持の歌は四百七十余首で最も多く、全体の一割以上を占めていますが、その家持
の初期の歌の一つと見られます。人生の春を迎えようとする期待と憧れが、素直な表現
のうちに息づいています。
 「眉引」とは、眉墨で眉を描くことです。正倉院の樹下美人など正に三日月のような
眉で、これがふくよかな頬とともに、天平美人の条件であったらしい。また眉根が痒カユ
いのは、想う人に逢える前兆とも云われます。
 
 いとま無く 人の眉根を いたづらに
 掻かしめつつも 逢はぬ妹かも
                           大伴百代・巻四 − 五六二
 
 これはまた、如何にもじれったそうな恋の歌です。「何度も何度もぬか喜びさせてお
いて」と、募る想いを詠っています。眉が痒い他、嚔クシャミも恋人に逢える兆しと見られ
ていました。面白いことに、七世紀頃の印度にも似たような俗信があったらしい。
 家持の持って生まれた感受性は、叔母の暖かい眼差しに見守られて、すくすくと伸び
て行きました。
 
 わが背子が 着る衣キヌ薄し 佐保風は
 いたくな吹きそ 家に至るまで
                           坂上郎女・巻六 − 九七九
 
 佐保は、今の奈良市法蓮町辺りで、大伴氏の屋敷がありました。其処から西の家へ帰
って行く家持を見送る歌です。
 家持はやがて名門の貴公子として華やかな青春を迎えます。
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