058 「野遊」
○春日野に 煙ケブリ立つ見ゆ 少女ヲトメらし
春野のうはぎ 採ツみて煮らしも
作者未詳・巻十 − 一八七九
○春の野に すみれ採ツみにと 来コしわれそ
野をなつかしみ 一夜ヒトヨ寝にける
山部赤人・巻八 − 一四二四
「柔らかな春の日差しを浴びて、乙女等が嫁菜ヨメナを摘んでいる。それを煮る煙が春日
野を流れてゆく」。昔、野遊びは春の大切な行事でした。
春になりますと、適齢期に達した男女が野や山に篭もり、自炊生活をする風習が各地
にありました。若菜を摘み、不自由な日を送る訳ですが、豊かに花開くためには、厳し
い試練のときが必要です。しかし、寒い冬から開放された喜び、春への期待・・・・・・など
が苦しさを吹き飛ばし、若い胸は躍っていたことでしょう。若菜を摘み、それを煮て食
べ、自然と一体のような生活の中で、文字通り「春」を迎えます。野遊びは成人式的な
意味を持っていたのです。
幸せな結び付きを見守ってやるのが、村の長老の大切な役目でした。『古事記』にも、
野遊びに因んで若者達の幸福な結婚を願う古老の歌が見えます。応神天皇の御製となっ
ていますが、有名な民謡であったのでしょう。
いざ子ども 野蒜ノビル摘みに 蒜ヒル摘みに 我が行く道の
香ぐはし 花橘タチバナは 上枝ホツエは 鳥居枯らし
下枝シタツエは 人取り枯らし 三つ栗の 中つ枝の
ほつもり 赤らをとめを 誘イザささば 良ヨらしな
「さあ若者達よ、野へ蒜を摘みに行こう。並木道の香ぐわしい橘も、梢コズエの花は鳥
が止まって枯らしてしまい、下の枝は人が取ってしまうが、丁度中程の枝に残った赤い
実のように、ふっくらした赤い頬ホオの乙女を誘うがいい」。
恥じらいながら乙女が歌う。「伎波都久キハツクの丘で韮ニラを摘んでいますけど、この篭
にすら一杯になりません」・・・・・・、すると村の長老でしょうか、或いは乳母かも知れま
せん。「あの人と一緒にお摘みなさい」と嗾ケシカけます。元は掛け合いで歌う民謡であっ
たでしょうが、『万葉集』には短歌の形で収められています。
伎波都久キハツクの 岡の茎韮ククミラ われ摘めど
篭コにも満たなふ 背なと摘まさね
作者未詳・巻十四 − 三四四四
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