056 「春の恋歌」
○春されば まづ三枝サキクサの 幸サキくあらば
後ノチにも逢はむ 莫ナ恋そ吾妹ワギモ
柿本人麿歌集・巻十 − 一八九五
○春されば しだり柳の とををにも
妹は心に 乗りにけるかも
同・巻十 − 一八九六
「無事に生き長らえてさえいれば、きっと、また逢うこともできるでしょう。あまり
恋に心を苦しめなさるな、恋人よ」。「無事でいれば」と云う意味の「幸サキくあらば」
の音に関連させて、春になれば”咲く”と”三枝サキクサ”を掛けています。この「さきく
さ」については、いろいろと議論がありますが、結局「万葉集」と云う雰囲気も考えに
入れて、百合ユリ、三椏ミツマタ、沈丁花ジンチョウゲなどが有力になっているようです。
奈良率川イサカワ神社の三枝祭には、三輪山の百合を供えますし、三枝 = 百合と云う説
も成り立つかも知れません。それが何であるにせよ、歌の調べから豊かな心は分かり、
「幸く」を導くための序詞として用いられたにせよ、此処には春の気配が満ちています。
二つ目の歌の意味は、「枝垂れ柳がたわわにしなだれかかっているように、愛する人
の心は私の心のたわむまでに乗りかかっている」、如何にも春の歌です。
これらの歌は巻十の春の相聞に収められた人麿歌集中のもので、大らかなで重厚な恋
歌が続いています。
霞立つ 春の長日を 恋ひ暮し
夜も更けゆくに 妹も逢はぬかも
巻十 − 一八九四
霞の立つ春の長い一日を暮らして、夜も更けて恋人に逢えないかしら − 人麿歌集に
あって『万葉集』に採り入れられた歌の特徴の一つは、歌を記す字数が少ないことです。
一つは表意文字が多い、と云うことです。これは漢詩を意識したからであると云う説が
あります。何れにしても”てにをは”までも字を送った他の歌に比べますと、字の意味
を採りながら、細かいところは自由に楽しみながら読めると云う、余裕ユトリがあったので
しょう。
この歌の下の句も「夜深去 妹相鴨」となっており、解釈もいろいろにされています。
例えば、「夜のふけゆきて妹にあへるかも」とも読めるのです
水の上に 数書くごとき わが命
妹にあはむと 祈誓ウケひつるかも
巻十一 − 二四三三
路の辺ベの 草深百合ユリの 後ユリもとふ
妹が命を 我知らめやも
巻十一 − 二四六七
人麿歌集には、穴師地方の地名を詠み込んだ歌が多いが、『神武記』に拠りますと、
三輪山の北からこの穴師地方にかけて「山百合のにほうような少女」が登場します。
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