054 「雷イカズチの丘」
○大君は 神にしませば 天雲アマクモの
雷イカヅチの上に 廬イホリせるかも
柿本人麿・巻三 − 二三五
現在の雷の丘は小さな丘です。歌から来る心象(イメージ)、雷丘と云う名前から想像し
て訪ねて見ますと、可愛らしい丘です。甘橿丘の北側にこじんまりと控えています。
題詞には「天皇、雷岳に御遊イデマしし時」とあります。天皇とは持統帝であろうと云
われ、藤原宮からは二s、いわゆる行幸と云う大袈裟な感じではなく、ご散歩と云った
ところでしょう。お供をした人麿が、神カミと雷カミナリをうまく重ね合わせて詠いました。
「大君は神でいらっしゃるから、天雲の雷の更にその上に行宮アングウをお造りになってい
る」。
折口信夫博士の「天子非即神論」に拠りますと、大君は既に神ではありませんでした。
天武、持統帝の頃になるとそのような時期で、この歌の一、二句は人麿が古き、良き時
代を想像して作られたと云い、夢よもう一度の気持ちで詠んだのではないかと云います。
これに対して普通は、天皇を神と見るのは当時の自然な天皇観であったとも云われて
います。
雷の丘とは実際は何ドレを指したのかについては、いろいろの説があります。今の雷の
丘は如何にも低く、万葉独特の「歌の調べの大きさ」によって補うとしても一寸無理が
あると云う説もあります。今の甘橿の丘ではなかったかと云う説に従いますと、丘の高
さ、展望などの点から見ますと甘橿の方が適当とも思われますが、雷の丘付近には明日
香村大字雷と云う古い地名が残っており、判別付け難い。
雷と云う地名には面白い話が『日本書紀』、『日本霊異記』にあります。小子部チイサコ
ベスガルが、雄略天皇に雷を捕らえて来いと命ぜられました。スガルは豊浦寺と飯岡の
間に落ちた雷神を竹で編んだ乗物に入れて帰り、天皇のご覧に入れました。雷は光を放
ったので天皇は驚かれ、落ちた処に返せと言われました。雷を放った場所を雷と呼んだ
と云います。『日本霊異記』の注には雷の場所を「古京の小墾田オハリダ宮の北」としてい
ます。小墾田宮の位置自体がよく分かっていませんが、大体甘橿の丘の北とされていま
す。今の雷の丘に当たらないこともない訳で、雷の丘問題の一つの拠り所となっていま
す。
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