053 「神名備山カムナビヤマ」
○三諸ミモロの 神名備山に
五百枝イホエさし 繁シジに生オひたる つがの木の いや継ぎ継ぎに
玉かづら 絶ゆることなく ありつつも 止まず通はむ
明日香の ふるき京師ミヤコは 山高み 河雄大トホシロし
春の日は 山し見がほし 秋の夜は 河し清サヤけし
朝雲に 鶴タヅは乱れ 夕霧に かはづはさわく
見るごとに 哭ネのみし泣かゆ 古イニシヘ思へば
山部赤人・巻三 − 三二四
「神の祀ってある神名備山の森に、沢山の枝が萌え出た栂ツガの木がよく繁っていま
す。その栂の木の名のように次々に絶えることなく、常に通いたいと思う明日香の旧都
は、山が高く、河が雄大に流れ、春は山が美しく、秋の夜は河の音が清かだ。朝雲を背
景に鶴ツルが乱れ飛び、夕霧の中で蛙カワズが頻りに鳴いている。それを見る度に声を出し
て泣けてくる。過ぎ去った昔のことを想うと・・・・・・」。
赤人は既に古都になってしまった明日香を偲び、自然の風景を採り入れて回想しまし
た。その中心になったのが神名備山で、歌の最初に出てくる「三諸」も「神名備」も「
神の坐ます処」で同じような意味です。三諸は「神々の坐ます暗い森」のような心象(
イメージ)で、こんもり茂った、何か神秘的な感じの処でしょう。このような場所は此処だ
けではなく、従って神名備は明日香だけでなく、三諸にも竜田にもあります。この歌の
場合は問題なく現在の甘橿の丘であろうと云われます。
この頂きで昔は、熱湯の中に手を入れさせて罪の有る無しを問う古代の裁判”深湯クカ
ダチ”が行われていたと云う記録もあります。
神々の時代には神を祀り、仏教が伝来してからは、岡の麓に仏教で云う世界の中心で
ある須弥山シュミセンを祀ったと云うことが『日本書紀』に見られます。その記述通りに飛鳥
川の辺ホトリから石造の須弥山が掘り出され、現在は東京国立博物館に収められています。
赤人は矢張り、この自然のことが忘れられませんでした。その美しさを赤人らしい清
潔な調子で詠い上げたのです。既に柿本人麿の頃とは異なった自然観が芽生えていまし
た。自然を自然と率直に見られるようになった訳です。赤人は、人麿の名句などを借用
していますが、祭式に用いられたような語句からも自然の風景を純粋に取り出して使っ
ています。いわば社会と自然との分化とも云えます。古都の回想には、それを取り巻く
美しい自然の風景を欠くことは出来なかったのです。
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