052 「飛鳥川」
 
○明日香川 瀬瀬のたま藻の うちなびき
 こころは妹に 依りにけるかも
                         作者未詳・巻十三 − 三二六七
 
 「飛鳥川の瀬々に美しい藻が靡ナビいている。そのように私の心は想う人に靡きよって
しまった」。
 昔の飛鳥川の水は美しかった。飛石の橋も渡されていました。柿本人麿も明日香川に
寄せて詠いました。
 
 明日香川 しがらみ渡し 塞セかませば
 流るる水も のどかあらまし
                                巻二 − 一九七
 
 文武四年(700)、天智天皇の子明日香皇女は亡くなりました。明日香川の玉藻が靡き
合うように、互いに愛し合っていた背の君を残して、悲しみに萎れ、夕星のようにさま
よい歩く背の君、どうお慰めしてよいか分かりませんが、せめて明日香皇女の名前だけ
でも、明日香川よ、永久に伝えておくれ、と人麿は詠います。「川の中に杭クイを打ち、
竹や木の枝を渡して塞き止めたなら、もっと水もゆっくり流れるだろうに・・・・・・。明日
香川は徒イタズラに流れて行く」。
 豊かな美しい幻影が、運命の流れに巻き込まれて行きました。皇女の死は、そのよう
に人麿の目に映りました。神聖な明日香川、美しい水の女神、それらの心象(イメージ)が
重なり合って、この挽歌にと結晶したのでしょう。長歌一首と短歌二首、明日香川に託
して悲しみを詠いました。人間世界と自然とが、深いところで繋がり合っている人麿の
世界なのです。
 
 御食ミケ向ふ 南淵ミナブチ山の 巌イハホには
 降れる斑雪ハダレか 消えのこりたる
                        柿本人麿歌集・巻九 − 一七〇九
 
 南淵の祭祀の石が、歌の素材になっているようです。此処には南淵請安ジョウアンの墓が
あります。辺り一帯は、朝鮮の古都慶州の風景に似ているそうです。この辺りまでは昔
ながらの美しい飛鳥川で、注連縄シメナワが川越しに張ってあり、真ん中には藁細工が垂れ
下がっています。注連縄は二カ所に張ってあり、水の女神の聖域を示すものであったと
も云われています。
 『斉明紀』には、「明日香川 みなぎらひつつ 行く水の 間もなくも 思ほゆるか
な」と詠われていますが、現在の水量は少なく感じられます。
[次へ進む] [バック]