046 「讃酒歌」
○験シルシなき 物を思はずは 一坏ヒトツキの
濁れる酒を 飲むべくあるらし
大伴旅人・巻三 − 三三八
元々酒は、神との繋がりの場にあったのです。わが国では米を原料とした濁酒を、早
くから造っていましたが、それは神にお供えするものであり、人が飲むのは「神と共に
」飲むのでした。酒盛りと云う言葉も、神と人が共に飲むことから来ています。この神
聖な酒を、酒を褒める歌を歌って飲んだのです。神と共に飲むと同時に多くの人と一緒
に飲みました。このような宗教的な儀礼に用いられた酒も、奈良時代に入りますと宮廷
での儀式、貴族達の社交の場などで飲まれるようになりました。
しかし、巻三の旅人の讃酒歌十三首はどうも、独りの世界のように思えます。「甲斐
のないことを考えないで、一坏の濁り酒を飲んだほうがよい」と云う一首から始まり、
陶淵明を始め中国の詩人の考えを採り入れ、その言葉の知識を使って酒を褒め讃えてい
ます。
吉川幸次郎博士は、唐では未だ唐淵明の真価は認められておらず、奈良時代に旅人が
淵明の影響を受けていたとはおかしい、とされていますが、旅人は独自の眼で淵明に触
れ、共感するところがあったのではないでしょうか。
あな醜ミニク 賢しらをすと 酒飲まぬ
人をよく見ば 猿にかも似る
巻三 − 三四四
「ああ、みっともない。利口そうに振る舞って酒を飲まない人をよく見ると、猿に似
ている」などと云う歌は、一種の人生観を含んでいるようです。
こうした旅人の考え方を、中国の「竹林の七賢」を理想とした老荘思想が根底にある
と云う説もありますが、この歌は都を離れた土地で妻を失った老貴族の心遣りと考えら
れないでしょうか。
ところで旅人の酒は、讃酒歌の中に「酔泣エヒナキ」と云う言葉が屡々使われるところを
見ますと、案外近代的な要素を持った「泣き上戸」であったかも知れません。
賢サカしみと 物いふよりは 酒飲みて
酔泣きするし まさりたるらし
巻三 − 三四一
けれども旅人も好んで独り酒を飲んだ訳ではないでしょう。出来れば、友人と親しく
酌み交わしたい、楽しみにしていた酒宴がその友人が都へ転任してしまったために流れ
たので、用意した御馳走も却って空しい、寂しい気持ちで旅人は詠うのです。
君がため 醸カみし待酒 安の野に
独りや飲まむ 友無しにして
巻四 − 五五五
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