043 「西の市」
 
○西の市に ただ独ヒトり出でて 眼メ並ナラべず
 買ひてし絹の 商アキじこりかも
                          作者未詳・巻七 − 一二六四
 
 奈良の都には東西二つの公設市場がありました。西の市は今の郡山市九条町市田の辺
りで、丁度薬師寺の門前でした。大変な賑わいを見せ、米、塩、野菜から布や紙、筆、
果ては農具に馬、牛、或いは瑠璃などの宝石も売っていました。そんな中でも絹は、高
価なものの代名詞みたいでした。例えば天平宝字六年(762)の記録で見ますと、上下一
揃いを絹で作ろうとしますと、四カ月以上も飲まず食わずで働かなければなりませんで
した。
 「その絹を西の市で買ったんだけど、誰にも見立ててもらわず自分独りで選んだもの
だから、とんだ買い損ないをしてしまったなあ」。
 ところが、この歌には裏があると云います。絹とは実はお嫁さんのことで、西の市で
見染めましたが、仲人も立てずに、自分独りで妻に選びました。これがとんだ見込み違
いでした。派手な夫婦喧嘩の後、悔しがって詠んだ歌がこれだと云います。
 
 この公設市場は、それまでの自然発生的な市とはいろんな面で異なっていました。古
くは三輪山の麓の海石榴市ツバキチのように月に何度か、それぞれの産物を交換するために
開かれるのが普通でした。公設市場では、平城宮跡から発見された木札には「西市交易
銭」と云う記載もあり、貨幣経済が行われていたことが分かります。市は正午に開いて、
日没に閉じました。
 東の市は、今の奈良市杏カラモモ町、西九条町付近と見られています。『日本霊異記』に
拠りますと、盗んだ経文を売り歩く男までいたと云います。泥棒、乞食、あらゆる人々
が集まって来ました。
 
 東ヒムガシの 市の植木の 木垂コダるまで
 あはず久しみ うべ恋ひにけり
                            門部王・巻三 − 三一〇
 
 「恋しい筈だなあ、木の枝がこんなに垂れ下がるまで逢わなかったんだもの」。
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