039 「巨勢路コセジ」
 
○巨勢山コセヤマの つらつら椿 つらつらに
 見つつ思シノはな 巨勢の春野を
                        坂門人足サカトノヒトタリ・巻一 − 五四
 
 大宝元年(701)の秋、持統太上天皇は和歌山の温泉に行かれました。既に四年前に孫
の文武天皇に譲位、余生をゆったりと送られていました。藤原京から約十二q、一行は
山と山に挟まれた静かな巨勢の地に着きました。西南の重坂峠を越えれば紀州に入る道
に続きますが、まだまだ先は長い。一行は一息入れました。
 お供に加わっていた坂門人足は、道を挟んでなだらかに続く山々を見上げ、旅に出た
気分を楽しんでいました。平地にある藤原京を出て、僅かばかり歩いただけなのに、も
う景色はがらりと変わっています。紅葉の始まった山には所々に常緑樹が浮き出ていま
す。そう云えば目の前にある木も、一寸重苦しい感じの緑を湛えた葉が連なっています。
椿ツバキです。人足はある歌を思い出しました。
 
 河のへの つらつら椿 つらつらに
 見れども飽かず 巨勢の春野は
                                 巻一 − 五六
 
 「河の辺ホトリに連なって咲いている椿を見ていると、巨勢野の春景色にいくら見ても見
飽きがしない」は、春日蔵首老カスガノクラビトオユの歌です。
 「今はその季節ではないが、この椿が盛んに咲く春の巨勢野に見たいものだなあ」と
人足は目を閉じて春の野に想いを馳せました。
 「ツラツラツバキツラツラニ」は口の中で繰り返していると、何となく楽しくなるよ
うな語呂の良い言葉です。「ツラツラツバキ」はいろいろと解釈はありますが、「葉が
ツヤツヤ光っている」「花が船の連なっているように続いている」と云った意味を混ぜ
合わせたように考えられましょう。
 巨勢山の麓にある阿吽アウン寺は元巨勢寺の子院で、狭い境内にの椿の木があります。
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