036 「巻向マキムクの檜原ヒバラ」
 
○巻向の 檜原もいまだ 雲居(クモヰ)ねは
 小松が末ウレゆ 沫雪アワユキ流る
                        柿本人麿歌集・巻十 − 二三一四
 
 「巻向の檜ヒノキの原にも、まだ雲がかかっていないのに、沫アワのように解けやすい雪が
小松の枝先をはらはらと流れ降る」。
 昔大和平野は湿地であったと云います。人々は初めは三輪、巻向、穴師と続く山並み
の麓の高台に住み着きました。水捌ハけが良く、日当たりが良く、その上眺めが素晴らし
い。西に広がる大和平野、その向こうに葛城連峰が見えます。
 「人麿歌集」には、民謡調のものや女性の歌もあります。そこで、他の人の歌も含ん
だ人麿選の歌集と見る説、全て自作か妻や恋人の歌と見る説など、区々マチマチです。何れ
にしろ地名を読み込んだ歌が多い。
 
 三諸ミモロの その山並みに 子らが手を
 巻向山は 継ツギのよろしも
                               巻七 − 一〇九三
 
 三輪山の山並み続きに、まるで手枕で、とも寝するかのように、巻向山がうまい具合
に並んでいる・・・・・・」。
 
 鳴る神の 音のみ聞きし 巻向の
 檜原の山を 今日見つるかも
                               巻七 − 一〇九二
 
 この歌は、歌集を全て人麿と妻や恋人の作とする説の従いますと、木津川の辺ホトリに住
んでいた恋人の歌になると云います。初めて巻向へ連れて来られ「雷の轟くように、あ
なたから噂だけは窺っていたけれど・・・・・・」と感激して詠います。しかし幾ら人麿が健
脚でも、木津川まで通うのは無理でしょう。 − との反論もあります。ともあれこの付
近の檜林は有名であったことは確かですが、今は三輪山麓の「檜原神社」にその名を留
めています。現在は檜は少なくなり、この辺りの三輪の檜原から巻向の檜原へと柿や蜜
柑の畑が続きます。これも見事な眺めです。冷たい風が吹き上げますので、蜜柑の木は
菰コモなどを着込み、揃って谷底に背を向けています。
 
 いにしへに ありけむ人も わがごとか
 三輪の檜原に 挿頭カザシ折りけむ
                               巻七 − 一一一八
 
 柿本人麿は、見事な巨木です。溢れるような感動を、厳しい鋏捌サバきで民族古来の言
葉の中に盛り込み、単なる個人の声に終わらせないで、集団の声にまで高めました。一
方では儀式の歌の中にも自己の心を詠い込みました。雄大な均衡感覚です。人麿歌集は、
はっきり人麿作として『万葉集』にある歌よりやや私的な意味あいが強いですが、根っ
こは同じなのです。
[次へ進む] [バック]