035 「海石榴市ツバキチ」
 
○紫ムラサキは 灰ハヒ指すものそ 海石榴市の
 八十ヤソの衢チマタに 逢へる児コや誰タレ
                         作者未詳・巻十二 − 三一〇一
 
○たらちねの 母が呼ぶ名を 申マヲさめど
 路ミチ行き人ビトを 誰と知りてか
                         作者未詳・巻十二 − 三一〇二
 
 三輪山の西南の麓桜井市金屋は、静かに静かに古代の面影を留めていました。古い家
並を突っ切る街道が舗装されているのが、変わっている点です。日中なのに、その道は
あまり車も通らず、人影も疎らです。此処が昔、水陸交通の要地として栄えたところな
のです。それには、いろいろの要素がありました。山辺の道の南端に当たり、初瀬谷か
らの出口、また直ぐ南を流れる初瀬川(大和川)は、難波方面から来航する船の着く港
町としての役も持っていた訳です。正に八十の衢チマタ、四方八方に道が通じた処でした。
加えて、山全体がご神体と云う三輪山に抱かれた土地柄は、人集まって市を成すには最
適でした。
 古代からある山の神の信仰、春と秋の特定の祭の日だけは、神も認める男女雑婚が許
されました。一夜だけの結婚、普段から想い想われた同士が、この機会を利用したかも
知れませんし、或いは全然知らぬ同士の結び付きもあったかも知れません。この行事は
単なる性の解放ではなく、呪術的な意味から生産の豊かなことを願う農村の象徴的な行
事で、いわゆる歌垣でした。
 
 「歌垣」とは名の示す通り、歌の問答が前提でした。歌で呼びかけ、答える歌の教養
がなければなりません。若者達にとって、この日ばかりは歌の才能が必要でした。それ
は若者達の情操教育を兼ねていたのでしょうか。椿の咲く夜でした。
 「四方へ道の通じている海石榴市で逢ったあなたは何という名ですか」。この頃は名
前を訊ねることに求婚の意味があります。問いかけられた女性は「母が私を呼ぶ名を申
したいのですが、行きずりにお目にかかっただけのあなたを誰とも知りませんもの」。
体のよい拒絶です。紫草の根に椿の灰を入れますと良い紫の色が出る、と云う染色の知
識を織り込み、教養のある歌を贈った男も見事に振られました。
 「市は・・・・・・つば市、大和にあまたある中に、長谷にまうづる人のかならずそこにと
まるは観音の縁あるにや」と『枕草子』にも平安時代の賑わい振りが書いてあります。
古代には歌垣の地として、市として、更に船で運び込まれる外来文化の中心として賑わ
った処が、初瀬参りの宿場として栄えたのです。古い金屋石仏も残っています。
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