028 「春まねく歌」
 
○沫雪アワユキか はだれに降ると 見るまでに
 流らへ散るは 何の花そも
                          駿河釆女・巻八 − 一四二〇
 
 はらはらと雪が降る、触れれば解ける沫アワのような雪、風の舞い、散り、流れ・・・・・・。
見ているうちに、白い花弁ハナビラかとも思えて来ます。雪を花に見立てて、その年の豊か
な稔りを祈ります。雪が沢山降り、花が沢山咲いた年は豊作だとも云います。
 「降りしきる雪のように、どっさり花の散る春がきておくれ」 − そんな願いを篭め
て、天皇に仕える美しい釆女が舞い歌います。春も、もう近い。
 二月三日は節分、ふと春日大社の万灯篭を思い出しました。如何にも春を招く行事に
相応しい。
 鬱蒼と茂る春日の森を背景に、参道沿い苔生した石灯篭が約二千基、社殿の朱塗りの
回廊に青銅の吊り灯篭が千個、張り替えたばかりの和紙から洩れる蝋燭の火が、まだま
だ寒い夜の空気を、柔らかく解かし始めます。碧瑠璃の灯篭など平安時代の灯篭もあり
ます。何れも常夜灯として寄進されたもので、明治維新までは御師オンシと呼ばれる世話役
が終夜、火の守りをしていたと云います。現在は経済的な理由で、全部に点灯するのは
節分と八月十五日の二夜だけです。
 十日がかりで火袋の紙を張り替えた灯篭に、午後六時から順に火が点されます。五十
人程が手分けしても全部点けるのに小一時間はかかると云います。古式通りに木と木を
摺り合わせて燃え立たせた神聖な火 − いわば春を招く火です。それを点して行く御巫
ミカンコの姿に駿河釆女の面影が重なります。
 
 雪の降り方や解け方で、その年の収穫を占う考え方は古くからありました。また雪を
花に見立て、花を雪に見ると云う「見立ての歌」の伝統も古い。富山県の白馬岳は、雪
解け時分になりますと、崖に馬の形が現れると云います。山の名もそこから来ています
が、麓の農家では、この馬を合図に苗代作りを始めます。絶えず生産に結び付いた自然
観察、同じ発想法がこの歌では抒情化され始めているのです。
 この歌は恐らく平城遷都(710)よりやや前の歌であろうと推定されています。「見立
て」も、奈良中期の大伴旅人、更に息子の家持の頃になりますと、ずっと「風流」の意
識が強くなります。二人の歌を駿河釆女の作と比べて見ましょう。
 「見立て」が、次第に文学意識として確立して行く過程がよく分かります。と同時に、
素朴な「実感」が失われて行く様も分かります。この間、約五十年の隔たりがあります。
 
 わが園に 梅の花散る ひさかたの
 天アメより雪の 流れ来るかも
                             旅人・巻五 − 八二二
 
 わが園の 李スモモの花か 庭に散る
 はだれのいまだ 残りたるかも
                           家持・巻十九 − 四一四〇
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