026 「女のしごと」
 
○君がため 手力タヂカラ疲れ 織りたる衣キヌぞ
 春さらば いかにかいかに 摺スりてば好ヨけむ
                        柿本人麿歌集・巻七 − 一二八一
 
 柿本人麿歌集は長歌、短歌合わせて約三百七十首、『万葉集』編纂の材料になった歌
集の一つで、人麿が自作の他、印象に残った歌を集めたものと見られています。しかし、
全ての歌が人麿と彼を巡る女性の作 − との新説も、想像としては楽しい。この歌も人
麿歌集からのものです。二十二首の旋頭歌セドウカが並んでいますが、宮廷歌人の肩書を離
れて、人麿が妻との歌の遣り取りを楽しんだと見ることも出来ます。五七七、五七七と
繰り返す古い歌体の旋頭歌は、問答体で成長したものですが、おっとりした味わいがあ
ります。
 妻「あなたのために、手もなえ疲れて織った布です。春になったら、どんな色に染め
たらいいでしょう」 − パッタン、パッタン、機織りの音が聞こえて来そうです。下の
句からでも上の句からでも、幾らでも繰り返して歌うことが出来ます。古くから伝わる
労働の歌であったのかも知れません。
 
 古代の女性は働きものでした。水汲み、機織り、畑仕事、養蚕・・・・・・。子供が生まれ
れば名前を付け、育てるのも母親の役目でした。夫はときどき通って来るだけ、その夫
のために、一生懸命機ハタを織ります。
 染料は草や花、その汁を摺り込んで染めるのです。アカネ、紅花ベニバナ、アイ、紫草
・・・・・・。待ち遠しい春、芽を吹くのを待ちかね、花が咲くのを待ちかねて野や山へと、
たった一枚の着物を作るのも大変でした。染めては干し、染めては干し、いよいよ着物
に仕立てる頃には、はや夏の日差しが・・・・・・。
 
 夏影の つま屋の下に きぬ裁つ吾妹ワギモ
 裏設マけて あがため裁たば やや大オホに裁て
                               巻七 − 一二七八
 
 「つま屋」とは、新婚の二人のための離れで、其処で妻が布を裁っています。初々し
い姿が目に浮かぶようです。夫「私のために着物をつくってくれるなら、裏を用意して
少し大き目に裁っておくれ」。
 愛する人のために作る喜び、それを肌に着ける喜び、これらの歌に耳を傾けています
と、一体人間の生活は、千数百年経って豊かになったのか貧しくなったのか、そんな疑
問が頭を擡モタげて来ます。ともあれ、こうして糸の一筋から織り上げて行くのですから、
昔の着物はいろいろな意味において貴重でした。それだけに、次のような歌にも実感が
篭もります。
 
 うち日さす 宮路を行くに わが裳モは破ヤれぬ
 玉の緒の 思ひ乱れて 家にあらましを
                               巻七 − 一二八〇
 
 宮仕えの夫は、このところ忙しいのかちっとも顔を見せてくれません。
 妻「もしや逢えるのでは・・・・・・と、宮中への道を行きつ戻りつ、私の着物はすり切れ
てしまいました。こんなことなら、思い乱れても家に居れば良かったものを」。
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