024 「安騎野アキノ」
 
○東ヒムガシの 野に炎カギロヒの 立つ見えて
 かへりみすれば 月傾カタブきぬ
                            柿本人麿・巻一 − 四八
 
 夜明けには山の端が、こうもくっきりと見えるのでしょうか。山際の空に、吹き千切
られたような雲が薄紫色に浮かびます。その下側から段々と橙色に染まって行きます。
 寒風に晒された安騎野の夜、人麿は今は亡い日並ヒナミシ皇子と、この野に狩に来たとき
の回想に耽りながら、一連の歌を作りました。日並皇子の子軽カル皇子と共に、現在の宇
陀郡大宇陀町の阿紀神社の辺ホトリに狩に来て、野宿したときのことです。持統六年(692
)の冬でしょうか、長歌に始まり、
 
 安騎の野に 宿る旅人 打ち靡き
 眠イも寝ネらめやも 古イニシヘ思ふに
                                 巻一 − 四六
 
 ま草刈る 荒野にはあれど 黄葉モミチバの
 過ぎにし君が 形見とそ来コし
                                 巻一 − 四七
 に続いて、「東の野に暁の光がさしてくるのが見えて、ふりかえってみると、月が落
ちかかっている」と詠ったのです。
 この歌は景色を詠んだだけのものではなくて、前の二首に続いて、昔を偲ぶ気持ちが
篭められています。身に沁み込む寒気と粉雪混じりの風の音だけが聞こえる中で、自分
達が敬い親しんだ日並皇子と同じ場所へ狩の来たときのことを考えますと、眠ろうとし
ても頭は益々冴え切って、遂に夜明けを迎えたのでしょう。悲しみの心が、狩の時刻の
近付く暁紅の荘厳を捉えたのです。そしてこの歌に続き、
 
 日並皇子ヒナミシミコの 命ミコトの 馬並ナめて
 御狩ミカリ立たしし 時は来向ふ
                                 巻一 − 四九
 
 「今は亡き日並皇子が馬を並べて狩にお出かけになった栄光の時刻が迫ってくる」と
詠い、漢詩の起承転結のような形を執って、一連の締め括りを付けたのです。
 この歌はよく知られています。ところが、現在我々が何気なく読んでいるこの歌も、
こう云う読み方になるまでには、先人達の並々ならぬ努力がありました。原文を見ます
と「東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡」となっており、平安時代から「東野アズマノ
のけぶりの立てるところみてかへりみすれば月かたぶきぬ」と読まれ、江戸時代になっ
て、『万代匠記集』を書いた僧契沖が、一説として「ヒムカシノノ」「カゲロフタテル
」などと読みました。そうした研究を受け継いで賀茂真渕が現在の読み方に到達したの
でした。
 安騎野は、起伏に富み、潅木の茂みがあちこちにあって、狩には絶好の場所であった
のでしょう。その野原が、暁の光に段々と姿を現して来るのを眺め、顔を強ばらせる冷
気の中に立ちますと、些か現代離れした気分になって来ます。
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