022 「二上山フタガミヤマ」
 
○うつそみの 人なるわれや 明日よりは
 二上山を 弟世イロセとあが見む
                          大来オホク皇女・巻二 − 一六五
 
 駱駝ラクダの背のような双峰が聳える二上山を見上げますと、高い方が雄岳、低い方が
雌岳、トロイデ式死火山の見事な影絵(シルエット)を描いています。この山は、讃岐
石(サヌカイト)を産したことや、荘厳な落日で有名です。
 雄岳の頂きに、二十四歳で悲劇的な最期を遂げた大津皇子の墓があります。「反逆者
」として処刑されましたが、それは皇子を陥れるために捏造ネツゾウされたものとも云われ
ます。姉大来皇女の悲しみはどんなであったでしょう。十四歳で伊勢の斎宮に仕え、ず
っと独身であった大来皇女に執っては、弟だけが生き甲斐であったと思われます。
 「生きてこの世に残った私はあすからは、この二上山を弟と思ってながめよう」。こ
のとき、大来皇女は二十七歳でした。
 
 牡丹で賑わう当麻寺から急な坂を登りますと、雄岳と雌岳の間の峠に辿り着きます。
ぱっと視界が開け、眼下に河内平野が広がっています。振り返ると大和平野が・・・・・・。
古代の人達がこの山を「天の二上」と云って崇めたのも、なる程と分かるような気がし
ます。雄岳にある大津皇子の墓からは、大和平野が一望出来、大和三山も見え、明日香
の里も見えます。
 
 わが背子を 大和へ遣ヤると さ夜ふけて
 暁露アカトキツユに わが立ち濡れし
                                巻二 − 一〇五
 
 二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を
 いかにか君が ひとり越ゆらむ
                                巻二 − 一〇六
 
 大津皇子の「反逆」が発覚する直前、皇子は密かに姉の居る伊勢へ下りました。都へ
帰る弟の身を案じて大来皇女は詠いました。不吉な予感が胸を過ヨギぎったのでしょう
か。不幸にして、それは現実となりました。この歌の後に、大津皇子の辞世歌、そして
大来皇女の「うつそみの・・・・・・」が続く結果になってしまったのです。
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