019 「歌姫越え」
○後オクれ居て 恋ひつつあらずば 追ひ及シかむ
道の阿廻クマミに 標シメ結ユへわが背セ
但馬皇女タジマノヒメミコ・巻二 − 一一五
峠の道は淋しい。まして想う人を後に残し、遠くへ旅立つときは尚更です。穂積ホヅミ
皇子も、この歌姫越えの道を近江へ向かったのでしょうか。但馬皇女の燃えるような目
を思い浮かべながら・・・・・・。「後に残って恋い焦がれているよりは、追って行きたいの
です。追い付きたいのです。道の角毎に、標シルベの紙を結わえて行って下さい。貴方・・
・・・・」。
奈良山を越えて京都へ抜けるには、古くから歌姫越えと奈良坂越えの二つがありまし
た。古代には歌姫越えが主要路であったと見られますが、今は国道二十四号線の奈良坂
越えが殆どです。お陰で歌姫越えの道には今も万葉の面影が、僅かながら残っています。
壬申の乱の後十数年、表面は次第に落ち着いて行きましたが、”心の動揺期”は、未だ
続いていました。天武天皇の皇子や皇女を巡る多彩な恋物語は、そうした”戦後”の時
代を象徴するかのようです。
但馬皇女は高市皇子の妃でした。兄妹婚ですが、母が違います。当時子供等は母の許
で育ったため、母が違えば他人同然で、遺伝的な配慮もせず、平気で異母妹を娶りまし
た。しかし密通は、流石に古代においても禁制でした。
但馬皇女は、それを犯したのです。夫のある身で、穂積皇子に秘かな想いを寄せまし
た。穂積皇子も天武帝の第五皇子でしたが、高市皇子に比べますと、地位も名声も遥か
に及ばなかったでしょうに、しかし但馬皇女の恋は、火のように激しかった。
人言ヒトゴトを 繁み言痛コチタみ おのが世に
いまだ渡らぬ 朝川渡る
巻二 − 一一六
「人のうわさがうるさいので、生まれて初めて冷たい朝の川を人しれず渡って帰りま
した」。高市皇子の宮を抜け出し、川を渡って、穂積皇子の許へ通ったのです。道なら
ぬ恋でしたが、いじらしい程に一途な女心が、当時の人々の胸を打ったのでしょう。
秋の田の 穂向の寄れる かた寄りに
君に寄りなな 言痛コチタくありとも
巻二 − 一一四
「秋の田の穂が一つ方向に寄るように、ただひたむきに君によりそいたい。たとい世
間の口がうるさかろうとも」。
その但馬皇女が近江へ旅立つ穂積皇子を募って作った歌を道標ミチシルベに、歌姫の峠を
越えますと、こんもりとした添御県坐ソウノミアガタニマス神社の森や古びた家並みが続きます。
その間を抜け、人影もない丘陵地を縫って白い道が下って行きます。やがて府県境です。
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