016 「大原の里」
 
○わが里に 大雪降れり 大原の
 古フりにし里に 落フらまくは後ノチ
                           天武天皇・巻二 − 一〇三
 
 「私の里には大雪が降ったぞ。大原のような古びた里に降るのは後アトだろう」。
 天武天皇の得意そうな顔が目に浮かびます。天武元年(672)、壬申ジンシンの乱に勝利
を収めた大海人オオアマ皇子は翌年浄御原キヨミハラ宮において即位されました。天武天皇です。
苦しみの末に勝利を得た天皇は良い気分であったのでしょう。
 ある日、この地に雪が降りました。天皇は、早速大原の里に居る藤原夫人ブニンに戯れ
の歌を贈られました。夫人とは、皇后、妃嬪などと共に天皇の後宮に仕えたものです。
藤原夫人とは鎌足の娘で、氷上娘、五百重娘の姉妹ですが、ここでは大原の大刀自と呼
ばれた妹でしょう。
 藤原夫人も負けてはいずに、歌で答えました。
 
 わが岡の 龍(雨冠+四+龍)神オカミに言ひて 落フらしめし
 雪の摧クダけし 其処ソコに散りけむ
                                巻二 − 一〇四
 
 「私の住む岡の水の神に言い付けて降らせた雪のかけらが、そこに降ったのでしょう
」。つまり、飛鳥浄御原に降った雪は、大原の里に降った雪のお余りでしょうと云う訳
です。
 他愛がないと云ってしまえばそれまでですが、機知(ウィット)に富んだ遣り取りで
す。こうした歌の遣り取りは問答歌と云い、『万葉集』の特徴の一つとなっています。
 「実用の歌」として役割が強く、諧謔カイギャク(ユーモア)、哀感(ペーソス)に富ん
だ歌は、個人同士の間で遣り取りされる訳ですが、直接関係のない第三者にも訴えるも
のを持っています。
 自分に関係のある土地に愛着を持つのは今も昔も同じでした。それだからこそ、雪の
降ったのを機会に、こうした歌の遣り取りがされた訳です。さて、藤原夫人の愛した大
原の里とは、どんな処でしょう。
 
 大原の里は、飛鳥小学校の裏手に当たる飛鳥浄御原宮跡から、飛鳥坐神社を経て、1
q足らずの処でした。今の地名は明日香村小原です。鎌足の母と伝えられる大伴夫人の
墓があり、其処から直ぐ鎌足の誕生地と伝えられる処が、ささやかな木立に囲まれてい
ました。辺りには人影もなく、何とも長閑ノドカな感じです。それにしても、飛鳥浄御原
宮は目と鼻の先です。随分大袈裟な言い方をしたものですが、ここに機知がある訳です。
 学校帰りの二人連れの女の子が歩いて来ました。一人の鞄の中から毛糸を引き出して、
もう一人が編物をしながら歩いています。「古びた大原の里」の良さを見たような気が
しました。
 
 大原の この市柴の いつしかと
 わが思ふ妹は 今夜コヨヒあへるかも
                           志貴皇子・巻四 − 五一三
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