015 「吉野川」
 
○山川も 依りて仕ツカふる 神ながら
 たぎつ河内に 船出するかも
                            柿本人麿・巻一 − 三九
 
 吉野郡大淀町付近を流れる吉野川は川幅が広い上に、水量が少なく、河原を縫うよう
にして流れます。川に沿って上流に進みますと、水の色も段々青さを増して来ます。吉
野川が大きくカーブを描く処、その岸の上に史跡宮滝遺跡があります。この付近からは
宮滝式と名付けられた縄文式土器が出土、更に奈良時代前後と見られる寺跡や敷石など
が見付かりました。遺跡の処から吉野川を見下ろしますと岩また岩の奇勝が目に入り、
下って河原に降り立ちますと、岩の間を通り抜ける水が見事な曲線模様を見せてくれま
す。
 持統天皇が度々お出でになられた吉野離宮は、果たして何処であったのでしょうか。
「丹生川上中社付近説」など諸説があって、はっきりしたことは分かりませんが、現在
ではこの吉野町宮滝付近とする説が強い。この位置については古くから興味を持たれて
いたらしく、本居宣長もこの付近から更に奧の方を歩き回ったことが『菅笠日記』に書
かれています。別に川上村大滝付近に宮があったのではないかと云う説もあります。吉
野川流域に古くから数多くの宮があって、結局宮滝辺りに落ち着いたのではないかとす
る説もあります。宮滝辺りはその雰囲気が、上流のそれに引けを取らぬものがあったの
でしょう。
 
 「山の神、川の神も、ともに寄ってお仕えする神でいらっしゃる天皇は、この吉野川
の水が渦を巻いて流れるところに船出をなさることだ」と柿本人麿が詠ったのは、持統
天皇が吉野に三十一回お出でになられたうちの何回目か分かりません。シーンと静まり
返った河岸段丘の上に立って見ますと、それも分かるような気もします。大和平野には
得られないものが此処にはあります。黒々と静まり返った山々、生命を持つかのように
渦巻き流れる水 − こうした環境にあると、「山の神」「川の神」と云う言葉も決して
空虚には響きません。天皇がこうした雰囲気に惹かれたのか、或いはそれに絡む水の信
仰上の問題があったのでしょうか・・・・・・。
 宮廷詩人人麿は天皇のお出でに際してこの歌を詠みました。詠むからには全身を打ち
込んだのです。この歌やその前の長歌に繰り返して用いられている「神ながら・・・・・・」
の言葉は、「天皇が神があって欲しい」という人麿の強烈な願望を示しています。
 
 うねり巻く水は現在では見られません。しかし水流に擦り減らされた川の中の大岩盤
は、昔の水勢を想像させてくれます。そしてこの水流で舟遊びをして光景も・・・・・・。
 
 見れど飽かぬ 吉野の川の とこなめの
 絶ゆることなく またかへりみむ
                                 巻一 − 三七
 
 この歌も同じく、人麿の宮褒めの歌と云うことになるのでしょうか。
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