014 「吉野離宮」
○古イニシヘに 恋コふる鳥かも 弓弦葉ユヅルハの
御井ミイの上ウヘより 鳴き渡り行く
弓削皇子ユゲノミコ・巻二 − 一一一
○古に 恋ふらむ鳥は 霍公鳥ホトトギス
けだしや鳴きし あが念オモへる如ゴト
額田王・巻二 − 一一二
くわぁっ − 。梢を掠カスめて鳥が飛びました。万葉の頃、吉野離宮があったと伝えら
れる吉野町宮滝の家並みは、冬の雨に黒く濡れ、人影も疎らです。吉野川を挟んで山が
迫り、谷間から立ち昇る霧に、墨絵のような杉木立が浮かび上がります。川の水の青磁
色だけが目に鮮やかでした。
天智十年(671)、大海人皇子はこの吉野の深い谷間に入りました。
その年の暮れ天智帝は崩御し、若い大友皇子が皇位を継ぎましたが、果たして翌年、大
海人皇子は兵を挙げました。壬申の乱です。殆どの皇族や地方豪族が大海人皇子に味方
しました。
戦いは主に近江や大和で起こりました、激戦約一月の後に、近江の都は落ち、大友皇
子は自殺しました。天智帝の宮廷に、華やかな彩りを添えていた額田王は、この乱をど
のように感じたことでしょう。大海人皇子との間に儲けた十市皇女トオチノヒメミコは大友皇子
に嫁いでいました。この乱は額田王に執って、いわば昔の恋人と娘婿との争いでった訳
です。
大海人皇子、即ち天武天皇の御代となりました。
天武八年五月、後に持統天皇となりました盧(盧偏+鳥)野皇后と六人の皇子を連れ
て、天武天皇は吉野へお出かけになりました。六人共壬申の乱で功のあった皇子で、そ
のうち二人は天智天皇の皇子、四人は母親こそ違いますが天武天皇の皇子でした。
天皇は皇子達に今後、異心や離反をしないよう約束をしようて云われますと、一人の
皇子が「これからは心を一つにして助け合って行こう」と誓い、他の皇子達も同意しま
した。すると天皇は、「私もお前達を平等に可愛がるよ」と六人を同時に抱かれました。
この盟約がこの地において交わされたのは、吉野川が禊ミソギの聖地であったためでもあ
ります。
よき人の よしとよく見て よしと言ひし
芳野よく見よ よき人よく見
天武天皇・巻一 − 二七
天武帝の死後、跡を継いだ持統女帝は、亡き帝を偲ぶためか、屡々芳野の離宮を訪れ
ました。この地で大海人皇子は、世捨て人のような日々を送りながら、機会を待ったの
です。持統帝に随行した弓削皇子にとっても、亡き父君の面影を見る想いであったでし
ょう。
「この鳥は、あのころのことを慕って鳴くのであろうか、弓弦葉ユズリハの茂る思い出の
井のほとりを鳴きながら飛んでゆく」 − 父君の若い頃、思いを寄せたと聞く額田王に、
憧れを篭めてこの一首を贈りました。答えて、額田王も詠いました。
「昔を恋い慕うというのは霍公鳥でしょう。おそらく、あのころのことを私が痛いほ
ど思っているように、悲痛な声で鳴いたのでしょう」。
若い貴公子と、美しい白髪の老女との、深い思い出を秘めた歌の遣り取りでした。
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