011 「三輪山ミワヤマ」
○三輪山を しかも隠カクすか 雲だにも
情ココロあらなも 隠さふべしや
額田王・巻一 − 一八
桜井市の三輪山の麓大神オオミワ神社の拝殿前に、大きな杉が聳えています。ご神体は山
そのものですが、この老杉も大変な信仰を集めているらしい。根っこの洞穴ホラアナに神の
お使いと云われる蛇が五、六匹棲んでいると云います。暖かくなりますと、時々洞穴か
ら顔を出します。ついシャッターを切る人もあるらしいが、とんでもないこと。神職が
真顔で説明してくれました。「その人は、事故に遭ったり焼け出されたり、決まって災
難に見舞われるそうですね」。
神のお使いの蛇でさえ、この威力です。まして主祭神の大物主神に、睨ニラまれたら大
変です。怖コワいのは実力がある証拠 − とばかり、お正月一杯は、その年の安全と商売
繁盛などを祈る参拝者の列が続きます。
古く小さい大和の国は、この西から西南の麓にかけて広がっていました。その古い王
朝に執って、三輪の祭祀権は大切なものでした。例えば、疫病の流行に悩む崇神天皇の
夢に三輪の神が現れて、自分を祀れ、と告げられたと云います。『古事記』『日本書紀
』には、この神と神憑りする巫女(タマヨリヒメ)、つまり神の嫁との不思議な結婚の
物語があります。
またオオヤマトトトヒモモソヒメが櫛笥を開くと、三輪の神は小さい蛇でした。驚い
た姫は箸で身を突いて死に、箸墓に葬られていたと云う伝説はあまりも有名です。
天智六年(667)、天智天皇は新しい国家体制を整えるため、近江の大津京に遷都しま
した。この歌は国境の奈良山で額田王が神の坐ます三輪山との別れを惜しんで詠ったと
考えられます。遷都に当たったは、この神山を宥ナダめる必要がありました。大物主は国
造りの神で、この神を怒らせてはなりませんでした。
この歌は、その儀式の歌つまり集団感情を代表する歌であり、天皇の自作とする説も
あります。しかし、この響きは、王者の声、集団の声を内に含んだ、豊麗な女性の声の
ようにも聴こえます。
「そんなにも三輪山を隠すのか。喩え雲でも、もっと情があって欲しい。このように
隠すと云う法があろうか」。
額田王は、二人の皇子から愛されましたが、後に天智帝、天武帝となる中大兄、大海
人両皇子です。然も二人は兄弟でした。最初、弟の大海人との間に女児までも儲けなが
ら、額田王は天智天皇に召され、近江へ向かいました。そのような事情を考えるとき、
歌は集団感情の代弁であっても、その底に、一人の女としての追憶と哀惜がなかったと
は云い切れません。『万葉集』にあります、二人に宛てた額田王の恋歌を読み比べて見
たとき、額田王の本心は、大海人皇子に惹かれていたのではないか − と云う気がして
来ます。
欝然とした三輪山は古い大和の象徴でした。額田王はその大和の恋いの日を想い起こ
さなかったのでしょうか。
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