009 「安見児ヤスミコ」
 
○われはもや 安見児得たり 皆人ヒトの
 得難エカテにすといふ 安見児得たり
                            藤原鎌足・巻二 − 九五
 
 安見児は美しい乙女でしたが、天皇に仕える釆女ウネメでした。古くから、釆女に手を出
して酷ヒドい目に遭った男の話は多い。ですから鎌足は美しい釆女を賜ったのです。『万
葉集』の題詞に従いますと、鎌足は詠いました。彼は既に五十歳を越えていたのではな
いかと考えられます。
 「われは、ほんまにまあ、美しい安見児を娶ったぞ。世の人が容易に得難いとした、
美しい安見児を娶ったぞ」。
 天智天皇の厚い信任を受け、后キサキであった鏡王女を賜ったかと思うと、今また美しい
釆女を得ました。自身に満ちた老練政治家の、誰憚ハバラるぬ喜びの歌かと観られて、「
単純明快で、濁った技巧がない」と評価され、通俗的に『万葉集』の中でも秀歌の一つ
に数えられて来ました。ですが、この「単純明快な」喜びの歌に、純粋でないものを嗅
ぎ付ける人もいます。「深く計算された効果が期待されていた」 − 歌の背後に老練な
政治家の心が蠢ウゴメいている − と。
 
 釆女は地方豪族が人質の意味を篭めて、美しい妹や娘を朝廷へ献じたものです。天皇
の食膳を整え、その給仕をする乙女でしたが、天皇の子を宿す場合も多かった。大友皇
子は、その釆女の子でした。しかし頼もしく成長した青年皇子を見るのつけ、父の天智
天皇や鎌足には「この皇子を次の天皇に」との想いが日増しに募りました。けれども、
ここに強力な好敵手がありました。天皇の弟大海人皇子です。当時、皇位は子に譲るよ
り弟へ譲る方が普通でした。然も大友の母が釆女であるのに比べ、大海人の母は斉明天
皇です。貴族等の間には大海人を支持する空気が強かった。釆女はさほど身分は高くな
い。釆女の子が皇位を継ぐことへの根強い反発があったと観られます。
 
 「安見児得たり」と誇らしげに詠った背後には、そうした空気を打破しようとする政
治的な狙いがあった − と云うのが単純明快説に反対する立場です。天皇が鎌足に美し
い釆女を与える。鎌足は大喜びして見せる。そうすれば釆女への評価が高くなるのでは
・・・・・・。けれど間もなく、鎌足は五十六歳で死にました。跡を追うように天皇も・・・・・。
意志通り皇位は大友皇子が継ぎました。翌六七二年、大海人皇子との間に壬申の乱が起
こったのです。
 果たして歌の真意がどうであったかは、千三百年の彼方に沈んで仕舞いました。しか
し、歌の上に歴史の動きを投影して観るとき、この歌の響きにも微妙な陰カゲりが感じら
れて来ます。
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