005 「泊瀬ハツセの国」
 
○隠口コモリクの 泊瀬の国に さ結婚ヨバヒに わが来れば
 たな曇り 雪は降り来ク さ曇り 雨は降り来
 野つ鳥 雉キギシはとよむ 家つ鳥 鶏カケも鳴く
 さ夜は明け この夜は明けぬ 入りてかつ寝ネむ この戸開かせ
                         作者未詳・巻十三 − 三三一〇
 
 この歌は問答形式になっています。『古事記』にも似たような歌があり、大国主命(
八千矛神)が越後美人を求めて出かけますが、この歌の登場人物は雄略天皇です。
 天皇「泊瀬の国に、妻を求めて遣って来ると、一面に曇って雪が降り始め、雨も降っ
て来た。野の雉キジは鳴き立て、家では鶏も鳴き、はや夜が明けてしまう。家に入って、
共に寝たい。この戸を開いておくれ」
 戸の内からは、辺りを憚ハバカるような若い女が答えます。
 
 隠口の 泊瀬小国ヲグニ よばひせす あが天皇スメロキよ
 奧床に 母はねたり 外床に 父はねたり
 起き立たば 母知りぬべし 出て行かば 父知りぬべし
 ぬばたまの 夜は明け行きぬ
 ここだくも 思ふごとならぬ こもりづまかも
                              巻十三 − 三三一二
 
 「泊瀬の国に私を求めてお出でになられた天皇スメロギよ、奧の床には母が寝ておりま
す。外側の床には父が寝ております。私が起き出せば、きっと母が気付くでしょう。出
て行けば父が気付くでしょう。はや夜は明けてしまいました。本にまあ、何とも思うよ
うにならぬ隠女コモリヅマでございます」
 
 古代の英雄物語に託しましたが、男が女の許に通う「妻問ドい」と云う結婚形式は、
古くは盛んに行われた風習でした。「よばい」は「呼ぶ」から来ており、女の家の戸口
に立って女を呼ぶ − から求婚の意になったと云うのが通説です。母系制社会の名残な
のでしょうか、結婚して後も男が通う。子は母が育て、名前も母が付ける、従って娘に
対する母の監視は厳しかった。好きな人が夜通し戸の外に立っていても、母の許可がな
ければ、戸を開けることも出来ません。それだけに、余計慕情は募り、燃えるような万
葉の恋歌が生まれたと観ることも出来ましょう。
 因みに、「泊瀬の国」の枕詞が「隠口の」です。
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