52 鹿角の紫根染と茜染(その二)
 
〈染の技法〉
 近世における紫根染・茜染の染技法については、幕末の『紫茜染秘法』(星合氏述。岩
手県立図書館蔵)から「鹿角伝」を引用して見る。
 
一、木綿一反ニ付、西郡灰ニシコオリアク一升五合ニ紫根百六十匁の積也。先づ西郡灰一盃余へ
煮湯も入れ、但水壱盃余なり。能々かき立すまし置、其水を七へんにかへすめしに、ご
くれ生大豆ご一ぺん是もかへすめしにくれる也。但大豆は一反ニ付壱升余の積りなり。
灰□□□□□□大豆と如此ニして五度なり。灰水卅五へん、大豆ご五へん、都合四十へ
んの下ごなり。紫根を臼ニ入搗きて袋に入、初ハぬるみ湯を入、もみ出し又つき、袋ニ
入て湯を通し末ニなる程あつき湯を入操モみ出し也。都合十二へんとふしといへども、色
出すむ迄ニてよろしきなり。夫ソレよりごをくれたる木綿を紫根をとろかしたる水入しめ
し置、取あげ置、水気つきたる時、先づ一番の紫水に入染、二番も三番水も一処に入染
る也。但染る時酢を一反ニ付三ツめかさニて、一ツハかりさし入染る也。酢すぎれバ色
赤し、見合さすべし。染水に一夜入置べし。酢ハ極伝也。
 
  紫形付染方
 
一、先づ粘糊ハ大豆粉一盃、小豆粉一盃、石灰三ケ一余、不細粉□□玉子の白ミばかり
ニてねり、しめし形付る也。
 
一、紫根そのまゝニて臼ニ入れつき、あつき湯を入れしぼり、半切に入置て水をさし入、
幾度も染る也。色よき時絵落し、張干なり。
 
一、木綿ハ灰水廿七へんかける。干紫根百二十匁の積りなり。
 
一、絹ハ灰水かけず、そのまゝ染るなり。但紫根ハ四百五十匁つもりなり。
 
一、又茜染と五しつ、草くろにしてぬるみ湯に半時斗を、むらさきとなるまで、あくに
つけるなり。留也。
 
  紫形付下ごの方
 
一、形付ハ西郡灰十ぺんかけ、大豆ご一ぺんかけ、又灰十ぺん、大豆ご一ぺん、又灰十
ぺん、大豆ご一ぺん都合灰ご卅ぺん、大豆ごは三ぺん也。紫一反ニ付六盃積り也。染る
時、前の晩よりぬるま湯に入つけ置て、右水へ先ニ木綿をしめしべし。
 
一、上紫根臼ニ入、少し湯をさしつき、袋ニ入て湯ニ入もみ出し、しめしたる木綿を染
置、くり廻カエしくり廻し染る也。右染水を別に入置、又袋の紫を臼ニ入れつき、湯ニ入
もみ出ししぼりかけ、くり廻しくり廻し風をとり染べし。何べんも紫根の白くなる迄、
如此ニする也。但酢を入る事口伝なり。
 
  返しむらさき
 
一、薄浅きニ染め、いせふのり両面に引、蘓芳裏より一ぺん引、干し又裏より一ぺん引、
干て莨タバコのくきを一反ニつき六寸廻り焼き、湯ニ入て一反ニ引、あまらぬ程ニ水立い
たし、引干て絵おとしする也。
 
  又方
 
一、下地浅黄ニ染、蘓芳煎じ引、蘓芳へ明ばん見合入れ一ぺん引、莨の灰水ニて色とる
なり。
 
一、白ご入、蘓芳煎じ二へん引、のりをして又蘓芳を引、明礬かけ、莨の灰木ニて返し
なり。
 
 近世における南部紫・茜染の名は広く全国に行き渡っているが、その随一の産地として
の鹿角は、領内以外ではあまり知られていない。しかし史料を紐解き江戸や他領からの
遊歴の人々の記述・見聞記などに接するにつけ、わが鹿角こそ本場として特に注目され、
取り扱われていたことを知るのである。本稿はそれらの資料全てを網羅しきれていない
が、裏付けとなる二、三を掲げることにより更なる研究の糸口としたい。
[詳細探訪(古来の植物染色「草木染」)]
参照 [37日本人の創った色(紫)]
MI10035栗山家「古代かづの紫根染・茜染資料」
名所歌枕:錦木塚
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