41 日本人の創った色(襲の色目)
 
〈襲カサネの色目〉
 古来の色名には、花の咲いているときの色による色名も大変多い。
 例えば赤系の色では桃染、撫子ナデシコ色、石竹セキチク色、桜色、支子クチナシ色、牡丹色、紅
梅色など、紫系の色では藤色、杜若カキツバタ色、菫スミレ色、紫苑シオン色、桔梗キキョウ色など、
青系や黄系の色にも露草色、山吹色、菜の花色など実に様々なです。
 先達は、これらの多種多様な花の色を糸や布に忠実に写すように、染料を考え、染め
の濃淡を考え、苦心して来ました。
 
 このように染色で表すことの他に、平安の貴人達は「襲」と云うもので、季節を表し、
花を表して来ました。
 俗に十二単ジュウニヒトエです。その重ねるそれぞれの衣裳の色によって、四季折々の自然
や花の色を表そうとしたのです。
 数領重ねた装束の、襟元や袖口、裾などに現れる流れるような色の調和、一領の衣の
比フキ(衣扁+比)に僅かに覗く表と裏の色の対比、上に薄く透き通るような羅ラ・紗シャ・絽
ロ、練っていない生ナマの絹である生絹スズシなどの薄絹を重ね、光の透過で現れる微妙な色
調等々、それらを季節毎に咲き競う花の彩りや木の葉の色合いなどに準えて楽しんだの
です。このような配色の妙が、いわゆる襲の色目と云われるもので、装束は云うまでも
なく、染め紙を用いる懐紙や料紙、几帳キチョウなどの調度品にも使われました。
 平安時代に最も正装とされる女房装束の場合、一番上には唐衣カラギヌと裳モを着け、そ
の下に表着ウワギ、打衣ウチギヌ、袿ウチギ(五衣イツツギヌ)、そして一番下に裏を付けない単
ヒトエと袴となります。
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