42 日本人の創った色(茶・黒・白)
 
〈茶〉
 抑も茶系統の色は、植物の中に含まれるタンニン酸、つまり渋の色素なのです。土の
中に落ちた種子が、翌年にそこから芽を出して恙ツツガ無く育って行くためには、菌の侵
入を防ぐ必要があります。従って、種の入っている柿、胡桃、団栗、栗などの木の実に
はタンニン酸が多く集まっています。我々は、それらが未だ木の枝に付いている時期に
採集して染料にすれば、そこから茶の色素を沢山得ることが出来ます。
 
 中国の宋へ留学した僧栄西は、建久二年(1191)の帰国に際して茶の木の苗を持ち帰
りました。この茶の木が栽培されて、全国的に広まり、「喫茶」の習慣も出来上がりま
した。従って、茶色と云う言葉は、室町時代からと云うことになります。
 奈良時代では茶系の色名には、染料とした植物の名前そのものを当てて、胡桃色、橡
ツルバミ色などと云い表しました。平安時代には、丁子チョウジで染めた淡い色を香コウ色、或
いは朽葉クチバ色、苦ニガ色などと云い表しました。
 
〈黒〉
 タンニン酸に鉄分を化合させると黒くなります。
 別の方法ではお粥をどろどろになるまでよく炊きます。そこへ真赤になるまで焼いた
鉄屑を射れ、更に米酢を加え、そのまま放置して置きますと、発行して鉄は錆び、段々
と粥の中に溶け出します。これを漉したものが、いわゆるお歯黒鉄(鉄漿カネ)です。
 
〈白〉 
 白の文字の源は、頭が白骨化したものと云います。偉大な指導者や強敵の首は長く保
存されましたが、それが次第に白くなるので、白色、明白、潔白の意になったと云われ
ます。したがって「伯」は偉大な人の意になったのです。
 自然界では雪や霜は白を表し、五行思想では金に相当し、方角では西を指します。
 
〈四十八茶百鼠〉
 江戸幕府は、奢侈禁止令を度々出して、庶民の華美、贅沢を禁じました。
 富める町人達はそれをやむなく受け入れ、茶や黒、鼠系統の地味な色合いの縞や格子
小紋染の着物など、表向きには目立たないものを着るようになって行きました。
 このようにして「四十八茶百鼠」と云う言葉が生まれました。
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