33a 茶碗レクチャー5
 
 △熊川コモカイ茶碗(月影ツキカゲ)・玉子手タマゴデ茶碗
 利休好みの長次郎茶碗に影響を与えたというよりも,あの姿への道程として,示唆す
るところがあったと想いたくなるものに熊川茶碗があります。長次郎の赤楽茶碗「道成
寺ドウジョウジ」が,天目や高麗茶碗の影響を受けた姿であると話しましたが,この熊川
は,高麗茶碗の中では最も似通った姿をしています。熊川は何れも端ハタ反りになってい
るのが特色ですが,それでいて茶碗から受ける趣は,慎ましい素直さがあります。「月
影」は,これまた著者が手にした熊川の中では,一番好きな茶碗で,非の打ちようのな
い纏まりを見せた姿も美しいですが,総体に掛かった釉膚クスリハダの潤いのある柔らかな
味と,朽葉色クチバイロの地色の中に紫色の浸みが群雲のように現れた景に,尽きぬ味わい
を感じた茶碗でした。秋深い頃,一碗の茶を振舞られたのが,なおのこと印象を深めて
いるかも知れません。
 玉子手の茶碗も,熊川と似た系統の作振りの茶碗です。その名のように,よく熔けて
つるりとした釉膚は,玉子(鶏卵)の殻を見るような趣があり,全体的に薄く成形され
ていまため,濃茶茶碗に用いるには,聊か重厚さがなく,矢張り薄茶茶碗に相応しい高
麗茶碗の一つに挙げられることができます。
 今まで見てきた高麗茶碗は,何れも文禄・慶長の役以前に焼かれた茶碗ではなかった
かと考えられます。量感とか力強さは,それぞれに違いはありますが,何れも素直な作
振りのものでした。そしてその作為のないナイーブな姿こそ,茶人たちに何よりも深い
共感を与えるものであったのであり,佗茶の伝統を受け継いでいる私達も,矢張り無意
識のうちにその味わいの中に引きずり込まれて行くようです。
 
 △御所丸ゴショマル茶碗(古田フルタ高麗コウライ)
 ところが,文禄・慶長の役は失敗に終わって,太閤タイコウの夢は途絶えてしまいました
が,やきものの世界ひいては茶碗の世界では,この戦役が契機となってにわかに交渉が
頻繁になりました。朝鮮から多くの陶工が帰化してきて,唐津焼や萩ハギ焼が始まったの
に加えて,茶人の注文になる茶碗が,釜山フザンや金海キンカイの窯で焼かれるようになった
のでした。それらは「本モト」(手本)を送って作らせたということから今日一般に「御
本ゴホン茶碗」と呼ばれていますが,中でも特に知られていますのは,古田織部の好みに
なる御所丸ゴショマル茶碗で,「古田高麗」はその代表的な作品です。ここで,もう一度「
織部黒 沓茶碗」を観て欲しいです。古田高麗と全く同様の作風の茶碗であることが認
められます。恐らく慶長の初め頃に古田織部の好みによって,金海に注文されたのでし
ょう。文禄・慶長の役後は古田織部の全盛の時代であったことは,朝鮮の茶碗にこのよ
うな作為の強いものを加えてしまいましたが,こうなりますと,帰化した茶碗ではなく
なってしまいます。勿論,このような茶人の好みは,朝鮮全土に広がった訳ではなく,
まだまだ李朝らしい素朴なものは焼かれていましたが,茶の世界で愛翫された後期の茶
碗の多くは,かつてのような素朴さは失われて,江戸時代の茶人の好みを繁栄したもの
に化していきました。そうした後期の茶碗の中にあっては,御所丸は古田織部の好みだ
けあって,一種独特の風格を持っているのは流石であったといえましょう。
 佗茶に帰化した茶碗即ち高麗茶碗の味わいは,仁清の茶碗のように,紙上で話して分
かるというものではありません。矢張り茶碗を手にして,茶碗と心を通わせなければな
らないといえます。しかしなかなか手にして一碗の茶を喫することは困難なことです。
せめて紙上で味わってもらった訳です。
 
〈あとがき〉
 茶碗は,世界の何処にでもありますが,茶の湯の茶碗は日本人だけが知っている茶碗
であり,茶の湯という風流の場で,日本人だけが密かに味わってきた美術品です。
 そしてまた,広い意味での美術品の中で,茶碗程人間と親しい関係にあったものはあ
りません。着物や飲食器も人間の側にありましたが,その多くは生活の必需品でした。
ところが,茶の湯の茶碗は必需品であったとはいえません。というよりも,最も不必需
品の部に属するものでした。それは風流するところの友達として作られたものでしたか
ら,風流心のない人にとっては,およそ意味のない品物であったに違いありません。
 その代わり,一度ヒトタビ茶の湯の風流に心を通わせますと,茶碗は人間以上の親しさを
以て語らえる相手でした。
 利休は佗の草庵の茶室で,独り心から語らえる茶碗が欲しく,長次郎に心に叶った茶
碗を作らせたのであり,高麗コウライ茶碗に美しさを感じるということは,抑も茶碗と語ら
える心がなければ分からぬ美の世界です。従って,茶碗の良さを味わうということは,
決して普遍的なものとはいえず,茶碗の美しさというものは,それぞれの人の心,風流
する心の中にあるものといえます。ですから必畢ヒッキョウ茶碗の味わいというものは,人に
は本当に伝えられるものとは思われません。ですから筆者は,この本でも日本の茶碗の
歴史的変遷の概略を語ることしかできませんでした。
 然も其処の図示し展開しました茶碗は,自ずから茶の世界の表にあって,時代の流行
の頂点に位置したものだけを語る結果になってしまっています。世の中には,名碗とい
えないまでも,楽しい茶碗,味わいのある茶碗がまだまだ一杯あります。というより寧
ろ此処で述べましたものは,多くの人々が日頃手にする機会の少ない茶碗であったとい
えます。長次郎にしても,志野や光悦の茶碗にしても,殆どの人にとっては手にするこ
とは疎か見ることもなかなか容易ではありません。しかし,茶碗の変遷を語るとします
と,矢張り長次郎や光悦に主役としての役割を果たしてもらわないことには話しにもな
りません。
 この本を読んで下さる多くの人々が,生涯に一度すら手に出来ない,勿論一碗の茶を
喫することのない程思いもよらない茶碗を対象として,手にしなければ味わうことの出
来ぬ茶碗のことを語るのですから,これ程矛盾した話しはないともいえます。ですが,
たとえガラス越しでも,これらの茶碗を鑑賞する機会は近頃可成り多いですので,そう
したときに,読者と茶碗とのささやかな語らいに,少しでも役立つことがあるかも知れ
ないと思って,編集と解説をしたのです。
 茶碗は矢張り茶室で使われているときが一番美しいです。ですから,風流する心のあ
る読者にお願いしたいのは,図版の茶碗も,茶室の中で一碗を喫する心になってみてや
って欲しいです。
[次へ進む] [バック]