28 茶道陶磁その5
 
[む]
向付ムコウヅケ:懐石の第一番に客の前に運ばれる器物は,折敷オシキに載せた向付と飯椀・汁
 椀です。なかでも向付は,椀とともに最初から最後まで客前に置かれ,客の最も注目
 します懐石具の一つです。椀類は皆具カイグの一つとして,真塗のものや溜塗タメヌリ・目
 弾き塗などが用いられ,寧ろ変化も少なく,固定的な或いは基本的な器物と考えられ
 ますが,向付はそれらの中にあって,変化をつけ,視覚的重点の置かれる器物といえ
 ます。皆具は,利休好みの真塗皆具のほか,流儀の好み形が用いられているのに対し
 て,向付は,季節によって,また小間コマ・広間によって,更に数寄屋スキヤ・寺院などに
 よって,自ずから異なった性質のものがそれぞれの時と処に応じて使用されます。特
 に,茶事茶会の主旨・目的によって,慶賀のとき,追善のときなどによって,異なっ
 た器物が選ばれます。
  小間では,どちらかといえば陶器類が,広間では磁器類が,また春から夏には自然
 と明るい色調のものが,秋から冬にかけては地味な侘びたものが好まれます。夏季に
 は涼味を感じさせる義山ギヤマンや染付が,また浅い小皿に近いものが折敷に載せられま
 す。このような季節に対する敏感な対応こそ,四季折々の山海の珍味を楽しめるわが
 国の自然環境の中にあって,日本人の優れた美的感覚と味覚から育成されてきた文化
 的特質といえます。
  蓋向フタムコウには,黄瀬戸・祥瑞ションズイ・楽焼など見事な作例が多いです。酷寒の茶事
 に,蒸物の温かいものを盛るのに相応しい向付です。向付には酢醤油を用いますので,
 低火度焼成のものは不向きで,また長時間料理を入れておくことは器物を損なう恐れ
 があります。初めての来客には,つぼつぼになますを入れて添えることも行われます。
  △義山向付:義山はギヤマンの当て字で,本来はダイヤモンド状の切り込みのある
 ガラスの器をいいます。金縁の鉢類が最も珍重され,明治以後わが国からヨーロッパ,
 特にフランスのバカラ社へ注文した水指や菓子鉢を始め,折敷オシキ・向付・椀・酒器・
 コップ類など多種に亘っています。向付は懐石道具中重要な器具の一つで,先付とも
 いいますが,折敷の向こうに付けるところからの称です。禅家では楪子チャツを,茶湯で
 は陶磁器類が用いられ,酷暑の季節には義山向付などが取り合わせられます。義山に
 は古渡りコワタリのものもありますが,殆どが明治以後のもので,金縁・色ガラスのもの
 を最上としています。しかし器具によっては無色や金縁でないものが相応しいことも
 あります。
  △赤絵金襴手寄付アカエキンランデヨセムコウ(高6.5p,径11.8p 畠山記念館):明代嘉靖
 カセイ頃,盛んに焼造された赤絵磁器には,金襴手と称する金箔を紋様に截って焼き付け
 る技法がみられます。明代豪華な金襴の裂キレ類が織られましたが,これらに因んだ名
 称で,特に赤地の上に唐草紋様が置かれたものが多いです。これらの向付は,紋様の
 異なる同種の赤絵金襴手の小鉢を寄せ集めたもので,寄向と称しています。何れも丸
 紋と地紋とから成っていますが,丸紋は赤丸金襴手と白地に鹿や獅子を青・緑・赤で
 描いています。地紋は赤地のほか菱繋ヒシツナギに宝尽紋タカラヅクシモンや梅に小禽図ショウキンズ
 がみられ,嘉靖頃の明代の嗜好がよく表れています。内面は口縁と見込みを染付で飾
 り,高台内部に「万福攸同」「富貴佳器」などの文字が書き込まれています。金襴手
 は何れも景徳鎮ケイトクチンで焼かれ,特にわが国への貿易品として輸入されたようです。
  △織部手付テツキ寄向(最大高11.9p,最大径13.8p 畠山記念館):桃山時代後期か
 ら江戸時代初期にかけて美濃では古田織部フルタオリベの指導によって,志野・織部などの
 優れた茶陶が焼造されましたが,織部没後も引き続き織部風な陶器,特に懐石道具類
 が大量に作られました。中でも織部向付はその器形の変化と意匠の奇抜さでは類をみ
 ません。これら寄向もまた菱繋形,クロス形など不等辺の変化に富んだ形の小形の手
 鉢です。これらの器形は古染付にもみられて興味深いです。白土に青釉の青織部,白
 土・赤土を片身カタミ替わりとした赤織部(関西では鳴海ナルミ織部と呼んでいます)の二
 種の技法がみられますが,何れも手の付け方に工夫がなされています。向付と折敷の
 関係は非常に密接で,その組合せに注意が肝要です。
  △祥瑞沓形花鳥紋ションズイクツガタカチョウモン向付(長径12.9p 藤田美術館):明代末期崇
 禎ソウテイ頃景徳鎮で焼造され,わが国からの注文品又は貿易品として送られてきた染付
 磁器に祥瑞があります。「五郎大甫ダユウ呉祥瑞造」の在銘のものや「福」「禄」の文
 字のあるものもみられますが特定の作者銘ではありません。小堀遠州の好んだと思わ
 れるものも幾種か遺存しますが,詳しいことは分かっていません。沓形と呼ぶのは,
 既に織部茶碗などについて行われていましたが,縦に扱うとき,沓の形に似るところ
 からの称です。向付の場合は横長に扱い,茶碗では縦長に用いる慣わしです。祥瑞の
 紋様には祥瑞紋が描かれているところからの呼び名でしょうけれど,松竹梅・山水・
 水鳥・船・猿・鹿など吉祥紋キッショウモンに関係のある意匠が多いです。向付には蓋向・張
 木皿なども用いられます。
  △割山椒ワリザンショウ向付(高9.0p,径12.0p 畠山記念館):唐津焼割山椒向付は,
 向付の中でも代表的な形式で,古くから用いられ,上野焼アガノヤキで細川三斎が好んだ
 記録があります。割山椒とは,山椒の実のはぜたような形の器をいいます。特に三方
 の割れの切り込みの深いのを悦びます。上野焼・唐津焼が知られます。磁器やガラス
 などの向付に比して地味で,ざんぐりとした感覚が侘び茶の風情に相応しいです。土
 物向付のうち最も馴染み深いものとして扱われてきましたが,現存する数の少ないこ
 とと,小間コマにおける懐石から次第に広間において行われるようになった近年の傾向
 が,これらの向付への関心を次第に希薄にさせてきたといえます。
  陶器の向付には,黄瀬戸・志野・織部・京焼・唐津・萩などに優れたものが多いで
 す。その他,デルフト窯で焼かれたオランダ物も愛用されました。
  △筒向ツツムコウ(高8.7p,径6.0p 茶道文化研究所):乾山焼春草絵筒向(5客,享
 保5年製)で,菫スミレ・土筆ツクシ・蕨ワラビの春草絵は,恐らく光琳絵図により,乾山緒
 方深省シンセイが描いたもので,二條丁字屋町チョウジヤマチ時代に,粟田辺りの窯で焼かせて
 と思われます。筒の外壁には白化粧釉を薄く掃いて,いかにも春のうららかな情景を
 彷彿ホウフツとさせます。鉄銹テツサビで描いた菫や蕨の装飾的表現が琳派らしい様式をみせ
 ています。
  向付は夜咄ヨバナシなどに用いるなどといわれ,最近では浅い向付が好まれる傾向が強
 いですが,縁の高い折敷と取り合わせますと,何時でも使えます。深い器形の向付を
 「のぞき」ともいいます。古染付や祥瑞に筒向がありますが,染付を写したオランダ
 物も珍重されてきました。前田家を通じて注文したとも伝える筒向には菱形の透かし
 が口縁下にあり,花鳥紋様や草花に蜻蛉トンボ紋様のものがあります。
 
[椀]
椀ワン:茶湯における懐石道具に四つ椀があり,更に箸洗が用いられます。元来茶湯懐石
 は,僧侶達が食堂ジキドウで行っていました食事の法が基本となり,最も質素な一汁一
 菜でしたが,現代に及んで,実に贅沢な料理が茶懐石の料理であるかの感を人々に植
 え付けてしまったようです。利休が黒真塗の素朴な懐石皆具カイグを好みましたのは,
 その飯椀・汁碗・煮物椀などが,これといって目立った特徴を誇示する訳でなく,少
 しでも人目に付かず,騒がしさを好まず,侘びた風趣を追求した結果でしょう。草庵
 茶の理念が侘びの風情であることには,今更いうまでもありませんが,現代のように
 大寄せ茶会や広間での茶事などの盛行につけ,次第に料理・器物ともに華美に傾くの
 はやむを得ないとしても,度を過ぎた豪華な椀類や贅を尽くした料理は慎むべきこと
 です。煮物椀に華麗な蒔絵が試みられるのも成り行きとはいえ,其処に茶味がなくて
 はなりません。外面に螺鈿ラデンや金貝カナガイを用い,高蒔絵を以て装飾したり,鮮やか
 な漆絵の全面装飾が行われた煮物椀は広間でこそ相応しいですが,小間で用いても決
 して映りの良いものではありません。一枚の皿,一個の鉢でも省略し,客前にある器
 物で間に合わせようとする「はたらき」が要求されるものであることを忘れてはなり
 ません。椀の蓋は焼物の取皿となり,箸洗の蓋は八寸の取皿となるのです。
  特に「椀」は夏とはいえ浅いものを用いて良いというものではなく,適量の飯を入
 れ,汁を冷ますことなく,煮物はたっぷりと,それぞれの機能を活かし,料理を客の
 味覚と視覚に訴えて十分に満足さらるものでなければなりません。椀の蓋裏に蒔絵が
 なされているのは良いですが,身の内側に不必要な蒔絵があるのは好ましくありませ
 ん。
 
                       参考:保育社発行「茶道用語辞典」
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