26a 茶道陶磁その3
△利休尻膨シリブクラ茶入(高6.6p,胴径6.7p 永青文庫):大名物漢作唐物尻膨茶
入で,利休秘蔵第一の茶入で,形は大きく甑際コシキギワが僅かに凹み,肩が丸味を帯び,
全体に内面からの張力感に溢れ,飴釉は厚く艶高いです。土は朱泥色で糸切は見事で
す。胴中央より少し上に胴紐が細く通り,引き締まった感じを表しています。
漢作唐物茶入は,その釉薬の景色よりも,整った姿を賞揚します。特に口が細く,
捻ヒネリ返しの強いものを好んだようです。
この茶入は徳川将軍家に入りましたが,慶長6年(1601)細川三斎が秀忠から関ヶ
原の軍功の賞として拝領しました。箱書に「利休尻ふくら」と書き記されています。
仕覆は細島間道カントウ・太子タイシ間道・唐棧風トウサンフウ間道の三種が添えられています。
なお象牙蓋は榎実エノミ蓋です。利休は天正7年(1579)正月の茶会に,灰被ハイカツギ天目
を尻崎台に載せて用い,天王寺屋(津田)宗及ソウギュウ・山上宗二の両名を招いていま
す。また北野大茶湯にも使用したことが知られます。
△白鼠シロネズミ大海ダイカイ茶入(高4.7p,胴径9.7p 永青文庫):古瀬戸大海茶入で
す。大海は大振りで口が広い平丸形の茶入をいいます。口の広いところから海にたと
えてこの名称が付けられています。漢作唐物には「山桜」「打曇ウチグモリ」「唐大海」
「八島ヤシマ」があり,古瀬戸では「敷島シキシマ」「大島」「八重桜」「置紋オキモン」「節季
セッキ」「谷」「金森」などが著名です。なお,小振りのものを内海・小大海などともい
いますが,大海は元内海ダイカイと記しました。
「御飾書」には「数ノ台」とともに盆に飾られ,書院茶では広く使用されましたが,
「山上宗二記」では,当世は大海は廃れたといっていますので,侘茶ワビチャでは挽溜
ヒキダメに用いられたかもしれません。
白鼠の銘は,主人を大黒に比し,その使いということでしょう。
△吹上フキアゲ文琳茶入(高6.2p,胴径5.5p 五島美術館):中興名物で,唐物分琳
茶入です。美しい鶉斑ウズラフの見事な景色に飴色のなだれた置形オキガタが一段と際立っ
ています。吹上は紀伊国の名所で,「古今集」秋歌「秋風の吹上に立てる白菊ははな
かあらぬか波のよするか」を引用して,遠州が銘としたものです。形はやや小振りで
すが,甑コシキは高く,捻ヒネリ返しは浅いです。愛らしい姿の茶入であるとして,不昧フマイ
によって外箱・袋箱・蓋箱などが補われています。
遠州所持の後,姫路酒井雅楽頭ウタノカミ宗雅ソウガの入手するところとなりましたが,寛
政元年(1789)参勤交代の途次,駿河柏原で不昧に譲り渡しています。
仕覆は,白極ハクギョク緞子ドンスとしじら間道カントウ織留オリドメの二つが添えられていま
す。
ところで,漢作唐物と唐物との大きな差異は,何といっても前者が援用品であり後
者が注文品であるという点でしょう。貿易品の容器である漢作唐物は型造りで胴継ぎ
ですが,唐物は轆轤仕上げとなっています。
△相坂オウサカ丸壷茶入(高6.4p,胴径6.9p 根津美術館):中興名物で,古瀬戸丸
壷茶入です。
江月和尚「相坂之記」に拠れば,遠州は「古今集」雑下「相坂の嵐の風は寒けれど
行衛しらねば侘びつつぞぬる」の歌を引いて銘としたことが記されています。この茶
人は決して満足できるものではありませんが,この茶入を求めておかなかったら,今
後これ程の茶入に巡り合うことができるだろうかというのです。丸壷は元来唐物茶入
の形に拠った訳ですが,古瀬戸に少ないです。瀬戸釉が全体に薄く掛かり,濃い飴色
が柿釉の上下に現れ,美しい黄釉が肩から一筋流れ出して置形となっています。
△柴戸シバノト小肩衝茶入(高6.8p,胴径5.0p 茶道文化研究所):燕庵エンアン名物
で,唐物小肩衝茶入です。織部より薮内ヤブノウチ剣仲ケンチュウが拝領,二代目真翁シンオウ箱書
です。釉薬は鶉斑ウズラフが見事に現れ,置形は肩から畳付タタミツキの上で止まっています。
鉄分の多い土で赤味を帯びていますが,土そのものは鼠色がかったきめ細かいもので
す。芋子イモノコに類していますが,捻返しも厳しく,僅かに肩が衝いて見えます。
蓋は織部好みのす蓋で,唐物朱塗輪花リンカ盆が添えられています。仕覆は溜塗の面桶
メンツウに三雲屋緞子が納められ,ほかに本願寺金襴キンランが添っています。
△玉津島タマツシマ瓢箪茶入(高5.5p,胴径5.2p 徳川美術館):中興名物で,漢瓢箪
です。玉津島の名は遠州が挽家ヒキヤに記した銘に因るもので,後石州は「和歌の浦に又
もひろはゞ玉津島おなじ光の数にもらすな」の古歌わ添え,「天下ニ六ノ内」と称し
て,「上杉(大友)」「稲葉」「大徳寺真珠庵蔵」「茶屋蔵」「佐久間家蔵」の五点
とともに並び賞しました。
瓢箪茶入はその数の少ないことと,姿の美しさから,茄子・文琳ブンリンとともに茶入
中の花形とされ,漢作唐物「上杉瓢箪茶入(別名大友瓢箪)」,唐物「稲葉瓢箪茶入
」はともに大名物に列し,現存が確認されています。これら二瓢箪は作風,釉薬とも
に酷似し,口造りは内側に抱え込んでいますが,「玉津島瓢箪茶入」のみ作風,釉薬
ともに異なり,小振りで,釉肌に艶がなく,口造りは一段輪を付けたように捻返して
います。胴の括クビれも強く,遠州の好みに叶ったのでしょう。箱書にみられます「漢
瓢箪」の漢を漢作の意味に採るか,唐物の一手と考えるか判然としませんが,作風は
唐物です。
△在中庵ザイチュウアン茶入(高9.6p,胴径6.4p 藤田美術館):中興名物で,古瀬戸
肩衝茶入です。遠州はこの茶入を手に入れ,堺の茶席を在中庵と名付け,その常什ジ
ョウジュウとしました。在中庵は先の所持者道休の庵号で,それをそのまま茶入の銘とし
ました。「遠州蔵帳」にも所載され,重宝として愛玩しました。
肩衝とはいえ撫肩ナデガタで,背が高く,胴部には細い轆轤目が通り,糸底は小さく
締まって気品があり,古瀬戸を代表する茶入です。口縁は捻返しが見事であり,瀬戸
釉は全体に黄味を帯び,黒い飴釉が轆轤目に流れ込んで,簾スダレ状になりながら流れ
下り置形をなしています。
象牙蓋8個,仕覆シフク8個が添えられ,盆は唐物黒縁屈輪グリ四方で,外縁にのみ彫
紋があります。
△宗伯茶入(後窯 銘不聞猿キカザル 高12.9p,胴形6.5p 香雪美術館):名物で,
瀬戸後窯の宗伯作の茶入です。茶入の耳の形を,三猿の一つ不聞猿の姿に見立てての
銘です。同形の茶入が幾つか伝存しています。宗伯については正確な伝記が見当たり
ませんが,瀬戸十作の一人に挙げられています。
茶入には一連の特徴があり,首から上は瓢箪茶入に似た作りで,肩から上に笹葉状
の耳が付けられ,竪筋タテスジが刻まれています。釉肌は艶があり,黄味を帯びた瀬戸釉
に飴釉が混ざり,変化の多い釉掛けです。腰が高く,畳付際で高台が削り出されてい
ます珍しい形です。
後窯は本窯(真中古マチュウコ・金華山・破風ハフウ)に対して,次の時代つまり桃山時代
から江戸時代初期までの瀬戸・美濃の諸窯或いは作者名を総括した茶入分類の総称で
す。
瀬戸後窯には,利休窯・織部窯・正意ショウイ・万右衛門・新兵衛・宗伯・吉兵衛・茂
右衛門・源十郎・鳴海窯などが知られています。
仕覆は有栖川アリスガワ裂ギレと瓔珞ヨウラク石畳紋蜀はショウハが添います。
△膳所ゼゼ焼茶入(高8.9p,胴径6.1p 根津美術館):中興名物です。膳所焼は
一時瀬田大江(大津市)に窯があったことが知られています。その地名を採って遠州
が銘としたのでしょう。当時遠州は近江奉行を務めていましたし,元和7年(1621)
膳所城主となって瀬田をも領した菅沼定芳サダヨシは遠州に茶を学んだこともあり,遠州
好みの茶器を焼かせたのでしょう。
茶入は胴張りで細かい轆轤跡があり,濃い飴釉が正面になだれ,均整の取れた典雅
な姿を示しています。首の直ぐ下に遠州好みの無孔の耳が付けられています。これは
丹波「生野イクノ茶入」などにも見られるのと同種の耳です。高台は本糸切りです。遠州
は挽家ヒキヤと蓋内箱に銘を書付け,松平不昧が外箱と袋箱に書付けをしています。
遠州指導による国焼茶入には,丹波・志戸呂シドロ・高取・薩摩・朝日・上野アガノな
どがあります。
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