23a 茶の湯と抹茶茶碗の歴史
〈2 町衆茶の湯時代/四畳半茶室と茶碗〉
町衆茶の湯が成立した要因は,戦国時代になって下克上の戦争が頻繁になり,境・博
多・下関・兵庫・京都などの町衆が,@戦争に必要な武器・弾薬・食糧を供給し,A武
士・僧侶では運営ができない天竜寺船・密貿易船の仕事を引き受け,B戦争に必要な資
金を大名たちに貸し付けたり,大名所蔵の美術品・道具を売買して,莫大な利益を獲得
したことによるものです。
このようなとき,臨済宗では元来町衆を檀越ダンエツ(檀家)にはしませんでしたが,養
叟ヨウソウや一休らがそれらの掟を改革して,町人に対して献金や説教,檀越などができる
ようにしました(1400年前後)。その結果,大徳寺が建て直り,禅宗が町衆茶の湯の精
神に結び付きました。
町衆茶人は禅の教化を受け,中国禅僧の墨跡を用いたり,日本独特の水指や建水を信
楽シガラキや備前ビゼンで焼かせたり,また四畳半の茶室を作り,そしてそれに相応しい朝
鮮茶碗,すなわち高麗コウライ茶碗を大量に輸入しました。
珠光ジュコウ青磁茶碗 南宋 径15.2p 出光美術館
瀬戸天目茶碗 室町 径12.6p
白天目茶碗 重要文化財室町末期 径12.3p 徳川美術館
菊花天目茶碗 重要文化財室町末期 径12.2p 藤田美術館
古雲鶴コウンカク茶碗 高麗末期 径 8.5p
雲鶴筒茶碗 銘疋田筒ヒキタヅツ(大文字屋筒)高麗末期 径 8.0p 北村美術館
大井戸茶碗 銘喜左衛門(本多) 国宝 李朝 径15.5p 孤篷庵
粉引コヒキ茶碗 銘三好ミヨシ 李朝 径15.4p
礼賓三島ライヒンミシマ茶碗 銘四皓シコウ 重要文化財李朝 径19.2p
刷毛目ハケメ茶碗 銘合浦ガッポ 李朝 径12.7p
真熊川マコモガイ茶碗 銘花摺ハナズリ 李朝 径14.2p
斗々屋トトヤ茶碗 銘利休とゝや 李朝 径14.0p 藤田美術館
大徳寺呉器ゴキ茶碗 李朝 径16.5p
信楽シガラキ茶碗 銘水の子 室町末期 径 9.8p 根津美術館
〈3 桃山利休時代/小間の茶室と茶碗〉
利休(1522〜91)は四畳半の茶室を使用しているうちに,肝胆カンタン相照らして話合い,
抹茶を飲むにはこれでも大き過ぎると考え,天正10年(1582)頃,板畳付き三畳の茶室,
二畳,二台目ダイメ,三畳台目などの茶室も作りました。そして茶碗も自分好みの楽茶碗
を焼かせたり,専用窯を作ったりしました。
楽茶碗は小間の茶会のために作られましたが,瀬戸や美濃の窯でも小間の茶に向く抹
茶茶碗を焼くようになりました。
長次郎赤楽茶碗 銘道成寺 桃山 径14.0p
長次郎黒楽茶碗 銘俊寛 桃山 径10.8p
長次郎黒楽茶碗 銘大オオクロ 重要文化財桃山 径10.7p
長次郎赤楽茶碗 銘太郎坊 桃山 径10.6p
長次郎黒楽茶碗 銘東陽坊 重要文化財桃山 径12.1p
長次郎赤楽茶碗 銘はやふね 桃山 径11.5p 畠山記念館
長次郎黒楽茶碗 銘ムキ栗 桃山 径12.5p
唐津カラツ茶碗 銘子ネのこ餅 桃山 径 9.6p
志野茶碗 銘卯花墻ウノハナガキ 国宝桃山 径11.7p
志野茶碗 銘卯の花 桃山 径13.0p
黄瀬戸キセト茶碗 銘朝比奈 桃山 径13.1p
黄瀬戸茶碗 銘難波ナニワ 桃山末期 径11.7p
瀬戸黒セトグロ茶碗 銘小原木オハラギ 桃山 径10.2p
瀬戸黒茶碗 銘小原女オハラメ 桃山 径13.3p
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