16a 「珠玉の香合」香合の歴史
 
 室町時代になりますと、様々の記録に香合の名が現れ始めます。徳川美術館所蔵の『
室町殿行幸御餝オカザリ記』は、永享9年(1437)後花園天皇が将軍足利義政の邸の室町殿
に行幸されたときの、「室礼シツライ」即ち座敷飾りの記録で、非常に貴重な記録とされて
いますが、この中に数カ所、香合の名が記されています。それらは棚飾として、花瓶・
香炉などとともに並べられており、大概盆に載せられ、或ものは立派な袋に収めてあり
ます。七宝とか銀と書かれているものもありますが、大半は漆塗りの香合であるらしく、
確かに陶磁器の香合と思われるものは一つもありません。なお同じようにして棚に飾ら
れているものに薬器ヤッキがあり、これに麝香ジャコウを入れた例が記されていますので、香
合も薬器も当時似たような使われ方をしたことが分かります。こうした漆塗りの香合は、
堆朱ツイシュや堆黒ツイコク、螺鈿ラデンなどの装飾のあるものが今も沢山伝わっており、例えば
徳川美術館には足利義政から織田有楽、徳川家康、徳川義直と伝わった、堆朱居布袋スエホ
テイ香合と呼ばれるものがあります。
 
 こうした棚飾としての香合は、遺品によって見ても、あまり形式上の変化のない、種
類の少ないものであったと思われます。佗び茶の風が興りますと、他の茶道具にも行わ
れたように、香の入れものに使うことのできる漆器や陶磁器のいろいろの小品を香合と
して使うようになり、また茶碗・茶入・水指などとともに、あちこちの窯場で新しく陶
器の香合を焼かせることも始まって、香合の種類は非常に幅広いものになりました。化
粧道具を入れる蒔絵手箱の中の白粉入れの小箱とか鎌倉彫の小さい合子などが採り上げ
られ、また中国や東南アジア産の陶磁器の小さい蓋物が香合として使われるようになっ
たのは、およそ桃山時代以後のことです。また伊賀伽藍ガラン香合とか黄瀬戸根太ネブト、
志野一文字と云った香合が創作されたのも、桃山時代になってからです。こうした佗び
の茶における、様々の香合の採り上げ方、その趣味の細かい変遷については、茶道史に
詳しい方が説明されるでしょう。ここでは江戸時代の末、安政年間に集成された「形物
カタモノ香合番付」に挙げられている、国焼即ち日本製の香合以外のもの、青磁、交趾コウチ、
呉洲ゴス、染付ソメツケ、宋胡録スンコロク、紅毛コウモウなどの香合について、概略を述べておきま
しょう。
 
 青磁香合は、唐代或いはその以前から、中国各地で作られていますが、近世の日本で
珍重されたものは、大概明時代、15,6世紀以降に、浙江省の龍泉窯或いはその系統の、
華南の青磁窯で焼かれたものです。宋元のものと見られる砧青磁牡丹香合などと云うの
もありますが、多くは明末の七官シチカン青磁で、技巧の勝ったものが多い。これらがもと
どのような用途のために作られたのか、ものによっては印合インゴウ(肉池、印肉入れ)と
思われるものもありますが、大体は小形で、薬や香料などの容器ではなかったかと想像
されます。
 
 交趾香合は最も珍重される香合ですが、その産地は未だはっきりしません。交趾即ち
ベトナム南部と日本とを往復する貿易船が運んだ三彩陶器を交趾と呼んだと云われてお
り、いろいろの点で広東地方の製品であろうと云う説が有力です。黄・緑・紫などの色
釉イログスリで彩った、亀、牛、桃、鴨、狸(猿)、獅子など様々のものがあり、中に素地
に金箔を置いたものがあって、白檀ビャクダンの手と呼ばれています。交趾香合は作風から
見て、明末16,7世紀の製作と想像されます。
 
 呉洲(呉州、呉須)は景徳鎮以外の地方民窯の粗磁器の総称で、染付もあり色絵(赤
絵)もあります。染付は景徳鎮のものに比べて青の色が黒ずんでおり、屡々滲んでいま
す。呉洲赤絵四方ヨホウ入角イリズミ香合、呉洲赤玉アカダマ香合などは数が多く、上作・下作が
あります。呉洲赤絵の産地は福建省南部と見られており、17世紀前半頃のもの、呉洲染
付は広東省らしく、交趾と同作のものがあると云われます。
 
 染付は明末天啓年間に景徳鎮民主主義窯で焼かれた、所謂古染付コソメツケの香合で、なか
なか味わいのある、日本人好みのものが多い。古染付は一般に日本向けの輸出品と云わ
れており、香合についても、茶人の好みを採り入れたものがあるように思えます。日本
からの注文によって特に作られたと思われるのが祥瑞ションズイで、古染付よりやや後の明
末崇禎頃の景徳鎮民窯の製品、これは染付の文様が細かく、青の色が美しい。祥瑞瑠璃
雀ルリスズメ香合などは名高いものです。
 
 宋胡録はタイのスワンカローク窯の産、元々キンマと呼ぶ嗜好品の容器として大量に
製作されたものらしく、多くは果物の形をしており、宋胡録柿香合などと呼ばれていま
す。製作の時期は15,6世紀と考えられており、近年大量に日本に入っているが、昔は稀
なものでした。
 紅毛はヨーロッパ産の陶器の総称で、種類は少ない。紅毛白雁ハクガン香合はオランダ、
デルフト窯の17世紀頃の製品、仁清や京焼がこれを模倣している。
 
 このような様々の輸入品の香合に加えて、黄瀬戸・志野・織部・伊賀・備前・信楽・
楽焼・京焼など多種多様な国焼香合によって、江戸後期の陶工達は、手の中に収まるよ
うに小さなやきものの中に、それぞれの自由な創意を生かす方法を知ったのです。当時
日本全土に亘って興った多数の陶窯で、夥オビタダしい香合が作られました。香合はこう
して王侯貴族や限られた人々の手から、庶民の生活の中に浸透して行きました。幕末以
来、香合は庶民の夢を盛る器になったと云って差し支えないでしょう。
[次へ進む] [バック]