15 陶器焼き窯考
 
△丹波(兵庫県)
丹波焼
 中古真壷に似た壷がありこれをせんべ焼と云う(萬寶全書)。
 国焼の古丹波は太閤時代、山科の千家の所持で、元伯山科宗甫へ茶に行く道中に求め
たと云う(茶道筌蹄)。
 丹波焼は遠州の茶具を焼き、何れも茶碗であったと云う。下掛け上掛けを施して内外
白薬がなだれる、地釉に萌黄を掛けた茶碗と、黒と渋混じりの薬に、爵金と浅黄の薬を
処々掛けた白土の茶碗とを、茶入の引き合わせ、寸分違わずに工夫し、いろいろの物が
見られます。土色は鼠、黄、白、赤、紫などがあります(陶器考)。
 
△出雲(島根県)
 三十二年七月己卯ツチノトウ、(天皇の皇后葬送の詔に対して)野見宿禰ノミノスクネ進み出て曰
モウしました、「葬モガリに王の陵墓陵に生きた人を埋め立てるのは、良いことではありま
せん。このことを後世に伝えることは如何なものでしょうか。私思い願うのは、今後は
次のようなことをしたいと思いますのでご審議下さい。即ち出雲国の土部ハシベ百人を喚
び、彼等に埴ハニ(土)で人馬や種々の物を作り、天皇スメラミコトに献じたいと思います。こ
れからはこの土物ハニモノを生きた人に代えて陵墓に立て、後世の法則にしたい」と。天皇
は大いに喜んで野見宿禰に詔ミコトノリし「この便利な謀りごとは自分の心に適う。その埴輪
を皇后葉酢媛命ハスヒメノミコトの墓に立てよう。よってこの土物を埴輪ハニワ(立物タテモノとも)と
呼ぼう」と。これにより令を出して、今後は陵墓には必ずこの土物を立て、人をば傷つ
けないこととしました。天皇は厚く野見宿禰の功イサヲシを賞して、鍛地カタシトコロを賜い、土
部職ハジノツカサに任じました。よって本姓を改めて土部臣ハジノオミと云いました(日本書紀 
六垂仁)。               因みに、SYSOPのご奉仕する「菅原神社」の
                   ご祭神菅原道真公のご先祖は野見宿禰、また
                   公のご祖先は土師であると云います。
 大井浜には海鼠海松があり、また陶器を造ります(出雲風土記 島根県)。
 
布志名焼
 雲州布志名焼は、雲陽意宇郡の布志名判官の家臣清和源氏末流舟木與兵衛次村二十三
代の舟木與次兵衛村政が、同郡福留村にて農家と一緒に数代天目楽焼をしていましたが、
寛永元戊辰年に古郷布志名へ引越し、実子三人と陶器細工を家業としました(本朝陶器
攷證 一)。
 
楽山焼
 雲州楽山焼の元祖は同国の長門、倉崎権兵衛で、高麗佐衛門の弟子です。延宝エンポウ五
巳年に長州から移転し、ここに窯を築いて焼き始めた云々(本朝陶器攷證 一)。
 
△播磨(兵庫県)
真砂子焼
 播州真砂子焼は、舞子浜にて焼かれたと云う(陶器楽草)。
 
明石焼
 播州明石郡大蔵谷村の明石焼は、昔はほのぼの焼とか朝霧焼などと称し、美名の良器
を産出していましたが、その後廃窯しました。文化年中に三国久八が本村狩口谷で窯を
築き、種々の器物を焼いて、大阪地方へ販売しましたので、再び明石焼が有名になりま
した(三国茂三郎書上)。
 
△美作ミマサカ(岡山県)
勝山焼
 勝山の地を暘ヒノテと云い、元禄頃領主三浦哲翁が陶工を城中に召して茶具を焼かせたと
云う(陶器考 附録)。
 
△備前(岡山県)
伊部焼・備前焼
 垂仁天皇の命により埴輪を造った処は、邑久郡土師村と云いますがその作者は未詳。
須恵村釜ケ原には古窯跡があり、伊部焼の窯跡と云われます。熊山の渓中や、下伊部村
今浦にも窯跡があるなどといろいろな説があります。
 伊部焼とはおよそ紫色の土で作り胡麻薬などがあり、榎肌などと称し、備前焼とは土
色赤く上薬も薄いと云いますが、元来は区別していませんでした。埴輪を作ることによ
って人命を救ったと云う明徳により、伊部焼と云う文字を賜ったので、村の名ともなり
ました(本朝陶器攷證 一)。
 
△長門(山口県)
萩焼(松本焼)
 長門の萩焼は元祖は唐人で、代々焼き伝えてきました。荒土に砂は入らず、中土は小
砂混じりで、次には濾した土を用いました。松本焼とは地名に拠ります。窯も留窯に替
え、殿様焼とも云います(鑑識録 甲)。
 元祖は高麗左衛門と云う朝鮮生まれの李敬で、朝鮮征伐のとき道しるべをしたと云う。
長門の松本に家屋鋪を給り、そこで焼物を作り、君の御印物などを拝領したと云います
(本朝陶器攷證 一)。
 
△紀伊(和歌山県)
名草焼・男山焼
 享和元酉年より和歌山の鈴丸十次郎家で焼く物を名草焼と云い、文政年中より在田郡
広荘男山で焼く物を男山と云います。また近年海部郡雑賀荘愛宕山の麓でも焼いている
が、この焼き方は男山焼きと同じです(紀伊続風土記 物産十二)。
 
△讃岐(香川県)
高松焼
 利兵衛と云う物が仁清に陶法を習い、これを利兵衛焼と云いましたが、作振りは仁清
に似て厚く、安南や朝鮮の茶碗を写したものなどあります(陶器考 附録)。
 
△伊予(愛媛県)
砥部焼
 伊予の砥山は昔から砥石を産出するので、それを伊予砥と呼びました。この砥石の出
る山を総て砥部と云い、またこの石で陶器を作り、諸国に商いしたので、俗に砥部焼と
呼ばれました(愛媛面影 四浮穴郡)。
 
△土佐(高知県)
尾戸焼
 尾戸は高知城下士小路の名です。寛永の頃大守忠義が大坂高津より松柏と云う焼物師
の上手の者を呼んで、焼物を習わせました。土は城南石立郡能佐山から採り、上薬は幡
多郡藤村サンダと云う処の柔らかい石から作りました(尾戸焼物師談)。
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