11b 日本陶磁の歩み
〈鎌倉・室町の窯々〉
鎌倉から室町にかけては,六古窯の他にも幾つか窯がありましたが,2千以上ありま
した須恵器の窯に比べて,著しく少なくなっています。いろいろの理由は考えられます
が,特にわが国は木器や漆器は古くから発達しましたが,陶磁器は遅れており,食器は
江戸末期まで漆器を使っていたものと考えられ,水や酒を容れる甕カメや壷は古くからや
きものを使っていました。鎌倉・室町時代の窯をながめても,瀬戸以外の窯では,主と
して素地を焼き締めただけの甕・壷を作っています。
日本の六古窯のうち,窯数が最も多く,生産額の最も高かったのは愛知県の常滑であ
り,これに次いで瀬戸が多く,越前・丹波・備前・信楽などは窯数も比較的少なく,遺
品の数も少ないです。
△常滑
常滑は名古屋の南,知多半島の中程にある市で,今日でも製陶の一中心地として知ら
れています。千余の古窯址からなる常滑古窯址群の中には,山茶碗だけを焼いた窯も可
成りありますが,その大部分は主として甕を作った窯です。甕の高さは大抵は30〜40p
ですが,稀には1m以上の大甕もあります。甕に次いでは山茶碗,俗に不識フシキと呼んで
います広口で胴のくの字形に張った低い壷,おはぐろ壷と呼ぶ高さ10p程の小壷,径35
p程の大平鉢などを主として作っています。常滑は海運を利して北は青森・岩手から瀬
戸内沿岸に亘り広く発見されています。
常滑の起源は平安時代とされています。古い甕や壷には焼成中に焚火の灰が掛かり,
肩や胴に自然釉の流れているものがありますが,人為的に灰を掛けたものも稀にありま
す。肌の色は赭褐色に焦げたもの,赤黒い色をしたもの,灰黒色,灰白色のものなどい
ろいろですが,古いもの程白い肌をしています。素地はざんぐりとして,備前や丹波程
ぎっちり堅く焼き締まっていません。これは素地の耐火度が強いのと,素地に多量の砂
を含んでいるためです。
常滑の窯も須恵器の流れを汲んだ穴窯ですが,瀬戸の窯よりやや長く,10m以上のもの
もあります。整形は無論轆轤ですが,輪積みといって,太く捩った土を右腕に抱え,轆
轤を廻しながらその先を内外から捻り上げて甕の形を作る方法を用いています。そして
輪積みの継ぎ目を密着させるため,木彫りの印で表面から押さえつけてあるものが相当
あります。
常滑の古い甕は,日本のやきものとしては珍しく雄渾で,大らかな感じのするものが
あります。
△信楽
信楽は滋賀県の南の外れの甲賀郡にある陶郷で,今日でも植木鉢・火鉢・土鍋といっ
た雑器を作っています。
信楽の窯が何時起こったかははっきりしませんが,遺品の殆どが鎌倉末期で,室町初
期にかけて,種壷と呼ばれます壷を主として作っています。口の小さい,高さ40〜50p
の大壷と,俗に「うずくまる」と呼んでいます二重口で,肩に桧垣文様を太い線で刻し
た高さ20〜30pの壷が多いです。素地は荒い長石粒を沢山に咬み,熔けて白いつぶつぶ
があります。胴はほんのりと赤く焦げ,灰がかったり自然釉が流下している風情は,自
然そのものを観る思いがします。信楽の壷は素地の鉄分が少ないために,明るく,淡雅
な感じがします。しかし信楽にも黒信楽と呼ぶ暗くて黒褐色に焦げたものもあります。
室町時代以前の古い壷は全て平底ですが,古信楽には,俗に「下駄印」と呼ぶ,下駄
で踏んだ足跡にような筋が2本底にあるものがあります。壷を作るには「板おこし」と
いう方法に拠ります。轆轤の真ん中に灰を撒き,その上に土を据え,形ができたら底に
箆ヘラを当て,轆轤を1回転すると底に灰が当たるため壷が容易に取れます。また室町時
代には壷の他,俗に鬼桶と呼んでいます,口がやや開き,胴が切り立ちに近い筒形の器
もあり,古信楽には摺鉢もあります。信楽の窯も丘陵の斜面を掘った穴窯です。
△越前
越前の古窯址は,福井県丹生郡織田町を中心として,平安から鎌倉・室町にかけて百
近くあります。そして主に作ったものは,素地を焼き締めただけの,肌が灰褐色に焦げ
た甕・壷ですが,こね鉢・摺鉢・鬼桶・網足なども作っています。
越前の壷は素地・器形・作行,細かく言いますと口作り,輪積みの方法,これに押し
た型押文など,古い常滑に似ています。窯は矢張り丘陵の斜面を掘った穴窯で,寸法は
瀬戸や常滑の窯とほぼ同じですが,焚口の奥に太い支柱がなく,須恵器の窯とほぼ同じ
様式です。
織田付近は今日でも北陸製陶の一中心地です。
△丹波
兵庫県多紀郡今田村の立杭には,今日でも素朴な雑器を作る窯が22基あります。鎌倉
・室町時代の古い窯は,立杭の直ぐ南にあります。丹波の窯も,須恵器の流れを汲みま
す。古丹波には平安に遡るものはなく,鎌倉と思われるものはありますが,遺品の多く
は室町時代以降で,主として壷・甕を作った窯であり,この他摺鉢・鬼桶・徳利なども
あります。丹波の壷には可成り伝世品があります。古丹波の壷は矢張り素地を焼き締め
ただけで釉薬は掛けていませんが,美しい自然釉の掛かったものが可成りあります。素
地は鉄分が多く,ぎっちりと堅く焼き締まり,鉄のような肌をしています。丹波の窯も
丘陵の斜面を穿った穴窯で,焚口に柱がなく,須恵器に近い様式の穴窯です。
△備前
備前焼は岡山県和気郡備前町付近一帯で作られました。今日の備前焼を焼いている伊
部の近くには,奈良時代に初めて窯が築かれたようで,瓶・壷・平鉢・山坏・瓦などを
焼いています。また平安時代の窯は,伊部の北に聳える熊山の南及び東斜面にあり,同
じようなものを焼いています。奈良から平安中期にかけて備前で作られたものは,素地
が灰白色で,焼きがやや甘いので白堊質ハクアシツに近い感じで,自然釉の掛かったものは殆
どなく,これを中間土器と呼んでいます。
備前焼は素地の鉄分が多く,耐火度が低いため,長時間かけてゆっくりと焼き,素地
が鉄のように堅く焼き締まっている特徴が出てくるのは,平安末期から鎌倉初期です。
鎌倉時代は矢張り壷を多く焼いたようです。壷は胴を2段若しくは3段に継ぎ,口作
りは真直ぐに立ち上がり,口辺が丸く玉縁になっています。室町時代には俗に「浦伊部
窯」と呼んでいますが,壷・大甕・摺鉢のほか,小壷・花瓶・鬼桶・片口・おはぐろ壷
・らっきょう徳利など豊富になります。
今日我々がみる古備前の多くは,三大窯といって,北大窯,西大窯,南大窯の三つで
作られたものです。備前の陶工たちは幕末まで三つの組みに分かれ,共同してこの三大
窯で焼いていました。
備前の窯も矢張り須恵器の流れを汲んだ穴窯ですが,鎌倉・室町の窯は半地上式で,
半分は地下に潜り,天井は地上に築いた蒲鉾形の窯です。備前焼は渋い深みのあるわが
国独特のやきもので,土そのものの味わいを尊んでいます。釉薬を掛けないで,火の加
減で肌が変化します。単純素朴の変化のあるところに古備前の面白さがあります。
[次へ進んで下さい]