11a 日本陶磁の歩み
〈古瀬戸〉
鎌倉から室町にかけて,愛知県の瀬戸はわが国製陶の中心地でした。その頃,瀬戸の
ほか常滑トコナメ・信楽シガラキ・越前・丹波・備前などに窯があり,これを日本の六古窯と呼
んでいます。
従来,瀬戸の起源は陶祖加藤四郎左衛門景正(通称藤四郎)による中国製陶法の招来
とされています。道元禅師が貞応2年(1222),明全に従って宋に渡ったとき藤四郎は
道元の従者として渡宋し,禅修業の傍ら逝江省の瓶窯鎮で製陶の修業をしました。安貞
2年(1228)帰国後,尾張の瀬戸に窯を築き,中国風の陶器を焼き始めたのが瀬戸の起
源であり,わが国陶器の始まりとされます。事実,瀬戸の窯は鎌倉時代からにわかに盛
んになり,美しい高火度の釉薬が掛かり,型押・刻線・貼付などの文様のある,陶器ら
しい陶器が初めて作られました。
しかし,瀬戸の窯は鎌倉時代に始まったものではありません。瀬戸地方に初めて窯が
築かれたのは10世紀末か11世紀の初めです。山茶碗は,瀬戸で最も古く,長く,多く,
10世紀末頃から14世紀半ば頃まで作られました。これを初期・中期・後期に分けていま
すが,時代が古い程形が端正で,素地が細かく,高いしっかりとした作りの高台が付い
ていますが,時代が下る程形が崩れ,素地が荒く,作行が乱暴で,低い無造作な高台が
付いています。
鎌倉時代に初めて瀬戸で作られた朽葉色の釉薬は戦前一般には「椿手チンシュ」と呼ばれ
ましたが,やはり黄古瀬戸とか古瀬戸黄釉と呼ぶべきでしょう。鎌倉後期以降に作られ
た,黒若しくは黒褐色の,俗に瀬戸で古瀬戸と呼んでいます釉薬は,鬼板という天然の
酸化鉄を釉薬に混ぜたものですが,渋い深い趣きのある美しい釉薬です。今日普通に古
瀬戸という場合は,前述の黄釉若しくは黒釉の掛かったものとされます。
古瀬戸の文様は,器形程強い影響を中国陶磁からは受けておらず,寧ろ鎌倉時代独特
の文様を施したものの方が多いです。
瀬戸地方には2百余の窯址がありますが,特に有名なのは椿窯と,長小曾の窯でしょ
う。
なお,同じ古瀬戸でも鎌倉と室町のものにはいろいろの相違があります。
第一に,山茶碗は別にして,鎌倉時代に主として焼いたのは四耳壷・瓶・仏花器・香
炉の類ですが,室町時代には茶碗・皿など日用雑器を量産しました。
第二に,型押・刻縁・貼付などの文様のあるものは鎌倉後期のものであり,室町時代
の古瀬戸には殆ど文様はありません。
第三には椿手と呼んでいる淡黄褐色の釉薬を鎌倉中期から用いていますが,鎌倉時代
は灰だけを塗ったため釉薬に縮れが生じ,器面に釉縞が流下している特徴がありますが,
室町時代のものは釉面が平滑です。
第四には,鎌倉時代のものの方が器形が端正で,室町時代のものは崩れているようで
す。古瀬戸でも形が厳正で,精巧な文様があり,釉調も深みのある,特に優れたものが
作られたのは鎌倉後期です。
日本のやきもので,最も日本的な特質を持つものは桃山時代でしょうが,しかし鎌倉
・室町の古瀬戸には,桃山のやきものにはない幽玄で端正な美しさがあります。そして
古瀬戸の魅力は朽葉色の古瀬戸釉にあります。古瀬戸は清亮なうちに幽玄な趣きを湛え,
日本のやきもので最も美しい釉薬の一つでしょう。
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