09 [陶]初見のこと
 
                     参考:吉川弘文館発行「古事類苑」ほか
 
[陶スエ]初見のこと
 
△ひらか『古事記 上』
 「出雲国の多芸志タギシの小浜ヲバマに天之御舎アメノミアラカを造りて、水戸神ミナトノカミの孫ヒコ櫛
八玉神クシヤタマノカミを膳夫カシハデとして、天御饗アメノミアヘ献る時に、祷ネぎ白マヲして、櫛八玉神
鵜ウになりて、海の底に入りて、底の波迩ハニを咋クひ出でて、天八十毘良迦アメノヤソビラカを作
りて」云々。
 
△八甕ヤハラ『日本書紀 一神代』
 「一書に曰はく、是の時に素戔嗚尊スサノヲノミコト安芸国アキノクニの可愛之川上エノカハカミにくだり
ます。(中略)素戔嗚尊乃スナハち教へて曰ノタマはく、汝イマシ、衆菓モロモロノコノミを以て酒八甕を
醸カむべし」云々。
 
△八十平瓮ヤソヒラカ『日本書紀 三神武』
 「戊午年九月戊辰、勅ミコトノリして曰はく、宜ウべ汝二人(椎根津彦シヒネツヒコ、弟猾オトウカシ
)、天香山アメノカグヤマにゆきて、潜ヒソカに其の巓イタダキの土ハニを取りてまゐりかへれ。基業
アマツヒツギの成否ナラムナラジは、当マサに汝を以て占はむ。努力ユメ慎ツツシめと。(中略)二人其の
山に至ることを得て、土を取りてまゐり帰れり。是ココに天皇スメラミコト甚イタく悦びたまひて、
乃ち此の埴ハニを以て、八十平瓮、天手抉アメノタクジリ八十枚ヤソキの厳瓮イツベを造作ツクりたまひ
て、丹生川上ニフノカハカミに陟ノボりて、用モチて天神アマツカミ地祇クニツカミを祭りたまう」云々。
 
△陶スエ『東雅 五人倫』工タクミ
 「大己貴神、櫛八玉神をして、天八十毘良迦を作らしめられしと見えたれば(旧事
記、古事記等に)、陶甄の工の如きも、天孫いまだ此国に天降まさぬ時より其事聞えし
也。其後神武天皇、八十たけるヤソタケルを打れし時、天香山社中土を取らしめられ、天平
瓮八十枚并厳瓮を造って天神地祇を祭り給ひしと見えしは、後に物部八十手所作祭神之
物といふものにて、これら国史に陶工の事見えし始なり。されど陶の字読て「スヱ」と
いふ事の見えしは、崇神紀に、大田田根子を茅渟県陶邑に求得らる。其母は陶津耳之女
也と見えしぞ始めなるべき。スヱといふ義は不詳。
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