02 やきものはあなたの手で〈やきものとは〉
やきものはあなたの手で〈やきものとは〉
土を焼くだけであったやき
ものが,技術の進歩により美し
い色彩に彩られるようになって
も,また,手づくりから機械化
へと進んでも,土を焼くという
やきものの本質には,今も昔も
なんら変わりはありません」と,
著者の渡辺輝人氏がはしがきで
述べています。
本稿は,理工学社発行の「や
きもの製作の実際」の一部を参
考にさせていただきました。
SYSOP
〈やきものの始まり〉
我々は,生まれたときからやきものとともに生活してきています。
粘土を練り,そして作り上げるという,最も原始的な工程でできあ
がったやきものが,我々に親しみを憶えさせるのは当然といえまし
ょう。手に持って撫でたり,あるいは口に触れたり,体で味わうこ
とをします。これはやきものの大きな特色ともいえることです。
やきものは,天然の鉱物の長所を集め,悪い点を改良した人工合
成鉱物です。プラスチックなどの合成樹脂に先んじて人間が天然物
を征服した産物です。しかも耐火性と硬度という他の材質の及ばな
い性質を持っています。最初に作り上げられたのは,人々の生活に
必要な,貯蔵のための容器です。これは縄文ジョウモン土器で,わが国
の最初のやきものです。
はじめは殆どが甕カメや深い鉢ハチの類でしたが,壷ツボや釣り手のあ
る鉢,土瓶ドビンのようなものまでつくられるようになりました。轆
轤ロクロはまだありませんでしたので,粘土紐を巻き上げたり,輪積み
にしたりしてつくられています。輪積みというのは,粘土を輪形に
したものを上の方へ積みながら形をつくるやり方です。
縄文という言葉が表すように,器の表面にはいろいろな文様があ
ります。装飾を加えたもの,粘土の紐をつけ加えて文様にしたもの,
あるいは線を彫り込んで文様を表したものなどいろいろです。まだ
窯カマというものはなく,露天で焼かれたものと考えられます。焼き
上がりの色は,全体として赤褐色を帯びています。形は伸び伸びと
して力強く,心に迫るものがあります。このときから既に,土と火
から生まれるやきものに対して深い情熱を注いでいたわけです。
やがて中国から新しい焼成技術が伝わり,弥生式土器がつくられ
るようになりました。縄文式土器に比べますと器形の種類が増し,
また色彩も明るく,さらに丸みのある緩やかなものになりました。
弥生式土器のもつ機能的な美しさ,黄褐色を帯びた色彩の明るさ,
あるいはまた曲線の見事さといったものが,我々を引き付けるので
す。
4世紀に入りますと,日本のやきものはさらに進歩し,新しい展
開をみせはじめました。最初にみられたのは,土師器ハジキであり,
さらに中国から朝鮮を経て進んだ技術が伝わり,須恵器スエキがつくら
れるようになりました。
土師器は,弥生式土器の後身ともいえるものです。日常用具とし
て使われましたので,気安さ,親しさ,庶民的な健康さといったも
のが感じられます。
須恵器は新しい形式の土器です。窯の構造が進歩したため,かな
り高い温度(1100〜1200℃)で焼かれ,淡い灰黒色をしています。
成形のために一部ではロクロも使われており,そのため器はより早
く,かつ均一につくられるようになりました。形は整然としており,
厳しさを感じます。
また作者の予期しない美が窯の中で生まれました。それは器物に
降り掛かった燃料である薪マキの灰が,高火度のために融けて,緑あ
るいは飴アメ色となり,美しい彩イロドりを与えたことです。これを自
然釉シゼンユウといいます。器物に降り掛かった灰が,粘土中の珪酸ケイ
サンと化合して,一種の釉薬ユウヤクとなったわけです。この自然釉と呼
ばれるものが,後の灰釉の基本となったものと考えられます。
〈陶器と磁器〉
やきもののことを俗に「せともの」,「からつもの」などといい
ますが,これはやきものが瀬戸を中心に発達し大量につくられまし
たので,瀬戸で焼いたものからきた言葉が広まったものです。また,
九州の唐津で焼かれたものが船で各地に運ばれましたので,地方に
よっては「からつもの」とも呼ばれます。
陶器には粘土を用い,磁器には石の粉(粘土を少し混ぜることも
あります)を用いてつくり,産地では「土もの」とか「石もの」と
も呼んでいます。
△陶器:素地は有色,吸水性があります。
透光性がなく,叩タタくと木性音がします。
無釉,又は有釉,暖かい感じ。
志野焼,織部焼,萩焼,唐津焼,益子焼など。
△磁器:素地は白色,吸水性がありません。
透光性があり,叩タタくと金属音がします。
有釉,冷たい感じ。
伊万里焼,九谷焼,清水焼,有田焼,鍋島焼など。
陶器はある程度厚さが必要で,いわゆる面白い味を出すのには好
都合ですので,茶器などに多く使われています。磁器はなるべく薄
くつくった方が好まれ,土そのものの味を楽しみ,賞味するという
ことはなくて,肌ハダの滑らかさ,白さ,青さ,絵や模様の面白さな
どを味わうものです。
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