66 忠・慈を詠める和歌
 
                       参考:吉川弘文館発行「古事類苑」
 
みし人もわすれのみ行山里に 心ながくもきたる春かな(花山院御時 十訓抄 六)
 
返らじと兼て思へば梓弓 なき数にいる名をぞとゞむる(楠正行 太平記 二十六)
 
△不孝
わたつうみにおやををし入てこのぬしの ぼんするみるぞあはれなりける
                               (枕草子 十二)
 
[慈]
 
うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしぬばゆ いづくより きたりしも
のぞ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ
反歌
銀シロガネも金コガネも玉もなにせむに まされるたからこにしかめやも(中略)
                         (萬葉集 五雑歌 山上憶良)
世の人の 貴みねがふ 七種ナナクサの 宝も我れは 何せんに わが中の 産まれ出でた
る 白玉の 吾が子古日フルヒは 明星アカボシの あくる朝アシタは しきたへの とこのべ
さらず 立てれども 居れども ともに戯れ 夕星ユフホシの ゆふべになれば いざねよ
と 手をたづさばり 父母も 表ウヘはなさかり 三枝サキクサの 中にをねむと 愛ウツクしく
しがかたらへば いづれか もひとゝなりいでて あしけくも よけくも見むと 大船
の おもひたのむに おもはぬに 横風の にもしくしくかに 覆ひ来ぬれば せむす
べの たどきをしらに しろたへの たすきをかけ まほ鏡 てにとりもちて 天神アマツ
カミ あふぎこひのみ 地祇クニツカミ ふしてぬかづき かゝらずも かかりも神の まにま
にと 立ちあさり 我がこひのめど しばらくも よけくはなしに 漸々ヤウヤウに かた
ちつくほり 朝朝アサナアサナ いふことやみ 霊剋タマキハル いのちたえぬれ 立ちをどり 足
ずりさけび 伏し仰ふぎ むねうちなげき 手に持たる あがことばしつ 世間の道
反歌
わかければ道行きしらじまひはせむ したべの使ひおひてとほらせ
ぬさおきて吾れはこひのむあざむかず ただにゐゆきてあまぢしらしめ(以上、同)
 
秋芽子ハギを 妻問ふ鹿カこそ 一子ヒトツコ二子フタツゴ 持たりといへ 鹿児自物カコジモノ 吾が
独子ヒトリコの 草枕 たびにし往けば 竹球タケタマを しじにぬきたれ 斎戸イハヒベに 木綿
ユフ取りしでゝ 忌イハひつゝ 吾が思ふ吾子アコ まさきく有りこそ
反歌
客人タビビトの宿りせむ野に霜降らば 吾子ワガコはぐくめ天の鶴群ツルムラ
                              (萬葉集 九相聞)
 
老ぬればさらぬ別の有といへば いよいよみまくほしき君かな(伊勢物語 下)
 
みやこへと思ふ心のわびしきは かへらぬ人のあればなりけり(今昔物語 二十四)
 
人のおやの心はやみにあらねども 子を思ふみちにまどひぬるかな
                       (後撰和歌集 十五雑 兼輔朝臣)
 
をそくとくつゐにさきぬるむめの花 たがうへをきしたねにかあるらん
                            (大鏡 三左大臣仲平)
 
とゞめをきて誰を哀とおもふらん こはまさるらんこはまさりけり
                    (後拾遺和歌集 十哀傷 いづみしきぶ)
 
よるのつる都の内にこめられて 子をこひつゝもなき明すかな
                      (詞花和歌集 九雑 高内侍伊周母)
 
うたゝねのこのよのゆめははかなきに さめぬやがてのいのちともがな
                      (今昔物語 二十四 藤原実方朝臣)
 
かはらむとおもふ命はをしからで さてもわかれんほどぞかなしき
                      (大江匡衡妻赤染読和歌語第五十一)
 
[悌(貞ミサヲ)]
 
やちほこの かみのみことや あがおほくに ぬしこそは をにいませば うちみる 
しまのさきざき かきみる いそのさきおちず わかくさの つまもたせらめ あはも
よ めにしあれば なをきて をはなし なをきて つまはなし(古事記 上)
 
みなそこふ おみのをとめを たれやしなはむ
みかしほ はりまはやまち いはくやす かしこくとも あれやしなはむ
                         (以上、日本書紀 十一仁徳)
 
吉野山峯の白雪ふみ分て 入にし人の跡ぞこひしき
しづやしづしづのをだまきくりかへし 昔を今になすよしもがな
                             (以上、吾妻鏡 六)

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