42a 作歌法
 
一かなをいたはるといふは、下すしき仮名を、句のすゑにおかじといたはる也。げすし
きかなをすゑじとは、「ぬ、た、れ、そ」是なり。句の末とは発句後句のをはりのかな
なり。またいたはらむとせんに、句の乱ぬべく、歌の損じつべきをゆるす。たまたまも
引なほしつべきを、さておきつるをおろかなりとす。此心はおくに注す処也。歌を以て
くはしく申侍也。
 
一仮名をえるといふは、乃ノ文字なり。能ノもじは、やはらかなる中のやはらかなる仮名
也。二をとらば、「の」もじをとるべし。
 
一異名を心得よとは、たとへば「郭公」とあらんに、となりもさしあふべくは、しでの
たをさともぐしたれどもくるしからず、たとへば名となのりとをつゞけていふ事もあり。
なのりにても名にても、一にて事たる事あるがごとし。これにて万心得つべし。何事も
おくにしるすべし。
 
一たすけ字を存せよといふは、「き」と「み」と「は」と「も」となり。「谷ふかき」
とあらん
に、こはくも聞え、となりもさしあふべくば「谷ふかみ」とかふべし。「み」と「き」
とは、同じひゞきのかな也。また「いでし月かは」などいふべきを、こはくも聞え、と
なりもさしあはゞ、「いでし月かも」などかふべし、「は」と「も」とは一仮名也。は
たらかせてたすくる也。かるがゆゑに、たすけ字とは名付る也。「みちぬらし」を「み
ちぬらむ」とかへ読なり。
 
一やすめの字といふを心得よといふは、「し」文字なり、たとへば、
 
郭公鳴や五月のみじかよも 独しぬればあかしかねつゝ
 
とあるを、ねたれば、下すしき仮名なるが、よりあひていきだはしく聞ゆれば、「一人
しぬれば」とはやすめたる也。われとし、人とし、松とし、みとし、きゝとしなどやう
の「し」文字なり。極てやさしき字也。
 
一かなをあまさずと云は、物を三十一字にいひはてゝ、いま一字をかなたらずして、な
んなんとして也。してよなどせんなき仮名を具する也。此歌のごとし、証歌云、
 
花の色をあかずみる共鴬の ねぐらの枝に手なゝふれそも
 
此「手なゝ」がわろきなるべし。
 
一心をあまさずといふは、たとへば題なる事を、まくばらずして、さきにいひはてゝ、
句をたさんとて、いたづらなる私曲の事を読具するを云也。是はやすく心得らるゝ事也。
さきの「てなゝふれ」その心也。只「手なふれそ」といふべきを、一字たらぬによりて
「なゝ」の字入也。「ふれゝば」など申たるは、同じ事ながら、いみじく聞ゆる成べし。
 
一詞の上下をせざれといふは、先にいふべき事を後にいふ是也。たとへば「久かたの月
」といふべきを「月の久かた」といひ、「たらちおのちゝ」といふべきを「ちゝのたら
ちお」といひ、「足引の山」を「山の足引」と云也。是等はたゞ心得らるべき事なれば、
くはしくしるさず。
 
一縁の字をとほのけずと云は、「露」とあらば「やがてをく」とも「かゝる」とも、ま
た「はらふ」ともつゞくべきに、なんなんとして「おく」とつけつければ、縁も遠のき、
詞もへだゝりて、あしく聞ゆる也。またちかづけんにかなはず、ちかづけられぬをばゆ
るす。たまたまも近づけつべきを、近づけざるをわろしとす。
 
一うへ下を心得よといふは、上下に付て二あり。一には秀句、二にはきゝしれといふ。
秀句の上下と云は、たとへば、「あづさ弓春は桜の」などいふに付て、梓弓に付て春の
詞はあらはれたれば上也。桜といふに、すゑともおもはせたり、是はかくれたればした
とす。是を心得てよむを上下かき合てよむとは云也。またきゝしれの上下といふは、爰
ココをいはむとてかしこと云是也、たとへば、我身の焦るゝ事をばはぢて、紅葉、船など
におほせて云事也。「紅葉ばのこがれて物のかなしきは」など云に付て、おもてにたつ
る「紅葉」はうへ、かくしたる「こがれ」はした也。是をかねたるをよき歌とす。かね
たる歌は、有がたかるべし。此歌ぞ是を兼たる歌なるべき。
 
雪ふれば木毎に花ぞ咲にける いづれを梅と分てをらまし
 
此歌ぞ上下かけあふて侍とて、師説も古人のほめけるとかたられし、誠にありがたき歌
也。上下かけあふたる事、末世の人読いでん事はかたかるべし。たとへば「むめ」は「
毎木」とかけり、「木毎」にと読る也。「いづれ梅とわきておらまし」とつゞけ侍り、
めでたき事也。
 
[詠歌大概抄]
情ココロは新を以て先と為す(人の未だ詠まざるの心を求め、之を詠む)、詞は旧を以て用
ふべし(詞は三代集に出でざるものとし、先達の用ゐる所の、新古今の人の歌を伺って
之を用べし)、風体は堪能先達の秀歌を傚ふべし(古今遠近を論ぜず、宜しく歌を見て
其の体を傚ふべし)。
近代の人の読み出づる所の心詞むは、一句と雖も謹みて棄て之を除くべかり(七八十年
以来、人の詠み出す所の詞、努々之を取用すべからず)、古人の歌に於ては多くは其の
同じ詞を以て之を詠む、已に流例と為すか。但し古歌を取りて新歌を詠む事、五句の中、
三句に及ぶは、頗る過分で珍気無し、二句の上の三四字は之を免る。猶之を案ずるに、
以て同じく詠む事、古歌の詞を詠むは頗る無念なり(花を以て花を詠む、月を以て月を
詠む)、四季の歌を以て恋の雑歌を詠み、恋の雑歌を以て四季の歌を詠むは、かくの時
古歌を取り難き無きか。
 
足引の山ほとゞぎす み芳野の芳野の山 久方の月の桂 時鳥鳴くや五月 玉鉾の道行
く人
 
かくの事、何度と雖も之を憚らず。
 
年内に春は来にけり 月や安らぬ春や昔 桜散る木の下風 ほのぼのと明石の浦
 
かくの類、二句と雖も、更に之を詠むべからず。
 
常に古歌の景気を観念し、心に染むべし、殊に見習ふべきは古今伊勢物語、後撰、拾遺、
三十六人集の中、殊に上手の歌は心を懸くべし(人丸、貫之、忠岑、伊勢、小町等の類
なり)。和歌の先達にあらずと雖も、時節の景気、世門の盛衰、物に由るを知ると為し、
白氏文集第一第二の帙、常に握翫すべし(深く和歌の心に通ず)。和歌に師匠無く、唯
旧歌を以て師と為す。心には古風を染め、詞には先達を習ふは、誰人も之を詠まずべか
らず哉。
 
[愚秘抄]
歌を読に大切のことあり。初心の時は、浅より深に案じ入べし。已達の時は、深より浅
に案じ出べき也。これこそ年来の練磨のしるしに、わづかにさぐり得て侍り。
初心の時、そのふかき心を案ずまじき故は、いまだつねの物、あさき歌をだにもよみす
へずして、たかく勝たる姿を案ずれば、心精みなどもよはきがゆへに、あらぬかたへ案
じなりて、正路をうしなふ也。故に其の分域にしたがひて、次第梯橙して、浅より深に
まなび入べし。一切のわざは、練磨にしたがひて其の心はつき侍る事也。已達の人の、
深より浅に案じ出べきといふ事は、つねの風情心をばよみすてたるが故に、先めづらし
きことやあると、よくよくもとめ案ずべき也。つねのことを読すへたるを地盤にもちた
るが故に、いかにたかくすぐれたるかたを案ずれども、正路をうしなはず、たかきかた
をよみ得たれば本意なり。またよみえぬ時は、もとの口なれば、すてたりし方へ次第に
落もてくるに、さらにわづらひなし。是等の趣をわきまへさとるが、ゆゝしき大事にて
侍也。

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