4202a 作歌法(続き)
 
[石上私淑言 上]
問云、詞のほどよくとゝのひてあやあるとは、いかなるをいふぞ、答云、うたふに詞の
かず程よくてとゞこほらず、おもしろく聞ゆる也。あや有るとは、詞のよくとゝのひそ
ろひてみだれぬ事也。大方五言七言にとゝのひたるが、古今雅俗にわたりて程よき也。
さればむかしの歌も今のやはり小歌も、みな五言七言也。是自然の妙なり。
上代の歌は文字の数も定まらずといへるは誤也。神代の歌といへども、五言と七言とに
もるゝ事なし、其の中に、あるひは五言を四言又は三言によみ、七言を六言八言によめ
る事もおほけれど、それもみなうたふ時は、たらざるをば、節を永くしてこれを足し、
あまれるをば、節をつゞめてみじかくうたひて、みな五言七言の調にかなへてうたへる
ものなれば、三言四言六言八言も、うたふ所はみな五言と七言の調也。何をもて是をし
るといはゞ、今の世に児童の謡ふはやり小歌、うすつき木びきの歌をきくに、みな五言
と七言也。其の中にあまるとたらぬとをば、節の長短をもてのべしゞめて、五言七言の
調にかなふるに、うたふ所をきけば、みな五七の調也。是自然の妙にて、神代も今も異
なる事なし。
 
然るに古今序の小註に、下照姫の歌を、文字の数も定まらず、歌のやうにもあらぬとい
へるは、このことわりをしらずして、たゞ日本紀にかける所を見て後の世の心からいへ
る也。神代の歌も、みな程よくとゝのひてあや有也。五七の調にもれざるべし。かの下
照姫の歌は、殊に其の詞程よくとゝのひて、うるはしくきこえたり。もし其の文字の数
定まらざれば、うたふに其の詞とゞこほりみだれて、耳にさはりて聞よからぬ也。今の
はやり小歌のたぐひも又しか也、これ人のよくしる所也。
上代の歌は、其のよめる時に即うたふ故に、うたひて詞とゝのへば、三言にもあれ、四
言六言八言にもあれ、みな五言七言の詞にさへうたへば、字のたらぬとあまるとはかゝ
はらざりし也。それもあまりてもよき所、たらでもよき所、あまりてはあしき所、たら
ではあしき所あるべし。みなうたふ時にしるゝ時也。
 
[橿園随筆 上]海野游翁より、香川景樹におくりし消息ぶみ
此ごろ、海野氏より香川氏におくれりしせをそこぶみの写とて、人の見せたるをみれば、
初学の人の歌見しるべきためには、いとよきこともあなれば、又こゝにうつしいでつ、
(中略)
先生(景樹を云ふ)江戸御出府前にて、いまだ拝顔せざりし時の事故、今を去ること二
十六七年にも相成申すべきか。彼御門人の五元上人江戸より上京ありて立かへりし時、
たしか先生五十賀にのぼられし時かと覚候。其の時御説の噺とて承候うちに、拾遺集貫
之御歌、「夜ならば月とぞ見ましわがやどの庭しろたへにふれるしら雪」といふ歌結句
を、家集に「ふりしけるゆき」とあるぞよき。「ふれるしら雪」にては不調也(広足云、
此歌は後撰集冬にはやく出て、よみ人しらずにて、結句「ふりつもる雪」とあり、此方
は家集に近し、中略)と、御物語ありしよし。上人咄れ候を、扨々高論をいふ人かな。
 
されど彼名たゝる撰者達の名におふ拾遺(註略)に選びいれ給ひけん歌なれば、いかゞ
はさるてづゝなる事有べきと、空に聞過し、其の後今をさる事十五年計以前、先生拝顔
に、かの御物語承りて後、さまざま古人の集どもを見つゝ、中にも貫之集を日々見居り
て、声をつよめ一首のひゞきをさとりしらんと、となへとなへてあるうちに、「あまぐ
ものよその物とはしりながらめづらしきかな雁の初声」(広足云、此歌夫木抄に出して、
結句「雁のとほ声」とあり)とあるを、ふと思ふやう。是はおのれよまんには、「初雁
の声」とぞよむべき、いかなれば「かりのはつこゑ」とはよみ給いけん。これには深き
意味ある事ならんと、其の夜暁方まで打もねず、「かりの初声ゝゝ」又は「初雁の声ゝ
ゝ」と、となへとなへてありしに、耳もとにて大鐘にてもつきならされたらんが如く、
げにこは「めづらしきかな雁の初声」ならでは、息こみぬけて、更に一首のひゞき不調
也、と夜のあけたらんこゝちにさとり得たる事ありき。
 
其の時今十年以前彼五元上人先生の御節とて咄されし事をふと思ひ出、いかがととなへ
心見るに、なるほど拾遺集の「ふれる白雪」は、「庭しろたへにふれるしら雪」の「に
ふれし」の処にて、息こみはづれ、殊に不調なることをあきらかにさとりぬ。
はや其の時より先生は世にぬけ出、此道にとりては、御修業別なる事と、人々にも物語
候事に御座候。
 
[橿園随筆 上]歌のことゞもひとつふたつ
むかし永章が家の正月の会はじめに、「心静汲春酒」といふ題にて、光輔、「すがのね
のながき春日にくむ酒はゑへる心ものどけかりけり」とよめりしを、おのれ(中島広足
)いたくめでゝ、まことにたかきしらべなり、及ぶべからずと。
光輔にあふごとにうらやみほめたりしを、光輔きゝていふやう、此歌はあまり何事もな
く、かやすき歌なりとて、たれもこゝろとゞむる人もなきを、そこのかくほめらるゝは、
いみじき見つけものし出たる也といへりき。
 
さて年へて後、光輔京へのぼりし時、よめる歌どもを景樹におほく見せたりしに、ある
が中にも此歌をぬきいでゝ、光輔が歌の第一と定め、さては「草まくら旅の空にぞおも
ひしるわが故郷はすみよかりけり」といふを、これにつげりとしてほめたりきといへり。
此物語をきゝて、おのれがはやくほめたりしもかひありておぼえしなり。たけたかき歌
の味ひはしる人すくなし。景樹死しては此味ひをしる人たれならむしらずかし。景樹が
歌に、高調なるいと多かれど、おほかたの人はそれにはめもつかで、たゞめづらしくい
ひなしたる彼人のわろきくせある歌をのみめではやすめり。まことに耳あきたる人はす
くなきものなりけり、「いかだおろす清滝川のたきつ瀬にちりてながるゝ山吹の花」、
此歌まことに高調、其のけしき眼前にうかびて、たやすくよみがたき也。是をおほかた
の人は、いづこがよきて心とゞめぬは、まことに其の余情ふかきをえしらぬなりけり。
おなじ人、「山吹の花ぞ一むらながれけるいかだのさをや岸にふれけん」、かへりて此
方をよしといふ人多きは、其の心のくだれるを思ふべし。

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